情熱で生きる。それは命と引き換えに。 | おかんのちゃぶ台☆しゃべりと歌でココロにアプローチする主婦 ・ ババーランド(仮)代表

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あなたに、伝えたい。
ちゃぶ台で紡ぎ出されるコトバたち。
1968年生まれの、女 兼 妻 兼 母 兼 主婦
心理学・セラピー・カウンセリングあたりを得意技に
オールマイティに暮らしています。
そんな"おかん"の日々の雑記。すべては、愛ですよ、愛。

10月26日水曜日

それは、情熱なのか、熱情なのか。


『AMY』を見た。
いわゆるドキュメンタリー映画。


南条あや を思い出した。

まあ、それはまた、あとで詳しく。



見終えて、胸がいっぱいで、胸が苦しくて、しばらくは、ふーむ…てなもんだったのだけど、
さっき、ふと、思った。

エイミーは、死んだ時、27歳。
私のコドモ、一番大きいのは今25歳。
子供の方が、歳は近い。
エイミーをリアルタイムで見てた頃も、私はすでに40すぎだったはずなのだけど。

映画は、彼女が16歳から話は始まる。
それなのに、
全く、彼女を母親目線では見られない。
それどころか、
ウチの子たちと変わらんじゃん!などとも思えないという。

しかも、自分の方に重ねて見ているというね。

要は、
「ひとりの女性」
として見ている、ということ。


映画の中で
「彼女はまるで老成のジャズシンガーだ」
と言われていたけれど、
それは、
「歌」に対して、真面目で、正直で、一所懸命、貪欲に一所懸命取り組んだから。

けれど、彼女の器は、「普通の女の子」で。

私から見たら、
ちぎれそうな自分を、狂おしい情熱で継ぎ接ぎしていたのではないかしら、と思う。

色々と、やりきれないものを抱え、
やりたいことができるのに、やりたいようにできない。
手に入れたはずなのに、指の間から落ちる。

どうしようもないことは、
誰かのせいにしたいけど、
それじゃ解決しない。


ライナーによると、
彼女は、人に合わせて対応を変えていたようだし、
色々、どこかで、辻褄を合わせないと、やっていけないんだろうな。



「世界がなくなればいい」
と思ったことがある。
けど、
私だけが残っても、
あの人はいない。
歌もない。


張り裂けそうな思いを、整理するのも歌だったエイミー。


そんな歌が受け、
有名人と言われるようになると、
海外アーティストのご多聞に漏れず、
アルコールに、ドラッグ。

小柄な彼女、
愛する男と同じことをするには、身体への負担も大きすぎた。


度重なる無茶に、
心臓が持たなくなっていた。



いつも、これが最後と思っていたのか、
いつも通りが最後になったのか、
これで最後だから、が、終わりになっちゃったのか。


目が覚めなかった。




実は、このことを知ったのは、
先の、南条あやが死んだ時。
彼女はメンヘラ系のネットアイドルだった。

リストカット、オーバードーズ、
若くても、
身体に与える影響は計り知れない。

海外みたいに、ドラッグで(いや、"合法的なクスリ"で飛んだりしてるんだけど(笑))、とか、アルコールを過剰摂取している風でもなかった。
日本の高校生だったから。
ましてや、繊細なココロが抱えるストレスは。

自分を傷つけることで、ストレスから解放されるのだけど、違う形で、身体を蝕む。


すごいショックで。





「才能」は努力のたまものだ。
作品が、イメージが、ひとり歩きをはじめると、
「もっと、もっと」を求めて(求められて)
崖っぷちを歩き続けなきゃいけない。
一歩でも内側に戻れば、安全だけど「守りに入る」と言われて。
ちょっと攻めすぎると、踏み外して真っ逆さま。

しかも、
彼女たちのような、
自分を切り売りしているようなタイプの「アーティスト」のネタで、うけるのは
だいたい、辛いことだから。
(世の中ってのはそんなもんだ、嫌だねぇ)


生き方までも、プレッシャー
と言えないこともない。



自分のやりたいことをしていたら、
自分が思わなかった世界に行ってしまうって、どんな感じだろう。

でも、
「もう、どうなってもいい!!」
とはなかなか言えないもんねぇ…。



自分を失いそうになったり、
自分を取り戻したり。


歌さえあれば…

歌があるばっかりに…

歌などなければ…

歌だけあれば…
歌さえあれば…



「だからほっといて。
私には音楽をするための時間が必要なの」







ま、そこ行くと、
レディガガみたいなのは
乗り越えちゃった系なのかもしれないなぁ。
あれはあれで、またスゴイんだろうなぁ…。





素敵な毎日を。

愛と感謝をこめて。


おかん。