気づいてしまった、こと。 | おかんのちゃぶ台☆しゃべりと歌でココロにアプローチする主婦 ・ ババーランド(仮)代表

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あなたに、伝えたい。
ちゃぶ台で紡ぎ出されるコトバたち。
1968年生まれの、女 兼 妻 兼 母 兼 主婦
心理学・セラピー・カウンセリングあたりを得意技に
オールマイティに暮らしています。
そんな"おかん"の日々の雑記。すべては、愛ですよ、愛。

6月12日日曜日


ウチのボスは、ギタリストだ。
私のユニットで弾いてくれていて、
彼のユニットで、私も歌う。

そんなわけで、”ふたりで”ユニット組んだりすることもある。

だからかどうか、
一つの事柄に対して、同じことを感じることが多い。
最近はお互いが「パートナー」的な役割を感じることも、
普通であった、のだけど、
それでも。

私は、その、意味を考えたことが、なかった。

たまたま、一緒にやっているから、だろう、なんて思ってたくらいで。
夫婦でもないし、たまたま、歌い手の相棒ギタリストだからかろう、程度で。


今夜も、たまたま、今度参加するイベントのための練習に行く道中のことだった。


ガソリンスタンドで、ふっと、気づいてしまったのだ。


「こんなことのために、ふたりでいるわけじゃない」

じゃ、どんなこと?

今までは、
「こうなればいいのに、こうしていかなきゃ」
「あれはよかったね、そうしよう」
「あんなことが、嫌だった」
「こんなことがダメだよ」
…てなことを、確認することが多くて、
ともすれば、(いま振り返ると)傷の舐め合いみたいなこともあった。

そりゃ、同じことを、経験してるからね。

でも、そんなことに、意味がある、なんて、思いもしてなかった。
たまたま、同じことを感じているからだろう、くらいで。


でも、違った。

私たちは、それぞれ、やらなければならないことはあるのだけど、
それ以外にも、「ふたりで」やらなければならないことがある。

これだって、たまたまなのだけど、
でも、同じことを思う、ということは、
それぞれが、ひとりではできないことを、
「ふたりならできる/ふたりでないとできない」
ということなのだ。



ボスがいつも言う
「やることやってから、モノを言え」
私もいつも言う
「ひとの気持ちを勝手に組み込んで、あたかも自分の気持ちのように言ってはいけない」

実は、コレが、できていなかったのだ。

最近の私たちの、顔を合わせる度に出る、
『文句』は(もちろん共通の)
よくよく考えさせられるために、口から出ていたのだ。
自分たちに『被害』が及んで、初めて、気づいたのだ。

「グチも、言い尽くせば、気がすむから」

と思っていたけれども、それすら違った(笑)



最近、やっと、他人全てに「やってあげなくてもいい」と気づいたボス。
最近、やっと、他人に「マイナス感情を持ってもいい」と気づいた私。

そんなふたりだからこそ、やらなければいけないことが、
目の前に、あった。

それに気づけず、文句を言ってただけだった。
同じ被害にあったと思っていた。
だから辛くて、お互いが、自分で自分を慰めないと、と思っていた。
または、お互いが、なんとかできないだろうか、と。


そこじゃなかった。


「自分たち」じゃなかった。


それも驚きだけど、
元々の問題は、自分たちになかったことに、気づいてなかった。
それなのに、まるで、自分たちのことのように、感じていたのだ。
とくに、私。
ひとさまには、エラソーに、あんなこと言うのに。

それに気づけたのも、ふたりだから。
「鏡」と例える人がいるけど、そうではなくて。
そうではなくて、
「大切ななにか(ひと)」について思い、考えること、
それは、「お互い」でなければいけない。
そして、その向こうに見えるものも、大切に思うこと。

相手が家族なら、と例えればわかりやすいひともいるだろう。

そうしないと、気づけないものがある。



私たちの、
本当にやらなければならなかったこと。
やらなかったから、この、いま。
これから、どうするべきか。
私たちも、
私や、ボスの、関わる全てのひとと、
どうなっていきたいのか。


わかってしまったけれども、
めんどくさいものは、めんどくさい。

でも、あの、「辛さ」は嘘のようになくなった。

いままでも、
「アレが終われば、もう考えなくて済むね!」
なんて言ってたこともあった。
いまは、そんな気すら、起こらない。


傷ついた気がしていたけれど、
いつの間にか、傷はなかった。
最初から傷ではなかったのかもしれない。
ちょっと、「悲劇のヒロイン」が羨ましかったのかもしれない。

同じステージではいられない、
ただ、それだけのこと。


私たちは、
前回ひとのせいにして、やらなかったことを、
ちゃんと、自分の言葉で、やらなきゃいけない。

それは、『苦言』かもしれない、『謝罪』かもしれない。

でも、思ったことは、
言わなければ、
やらなければ、
意味もなければ、伝わらないのだ。
持ち帰って言ってても、
始まりもしなければ、終わりもしないのだ。

そんなものは、『思いやり』でも『優しさ』でも、なんでもないのだ。

そういう意味では、本当に、申し訳なかったと思う。

でも、もう、ちゃんと、したいんだ。
しなければ、いけなくなってしまったのだ。


(こわいのは、いまだけ。
だいじょうぶ。
ぜったい、だいじょうぶ。
私は、ここにいるから。)



みなさん、本当に、ありがとう。


私ひとりでは、とてもとても、
こんなところまで、来られなかったよ。


さあ、まだまだ。GOES ON。
行きましょう。





素敵な毎日を。

愛をこめて。


おかん。