こんにちは。
いきかたプロデューサー 菅です。
みなさんは「グリーフ」という言葉をご存知ですか?
喪失に対する悲しみや嘆きの事です。
その人が大切にしているものや人を失った時に発生する悲嘆。
喪失は全ての人がそれぞれのライフステージで経験します。
家族や自分自身の病気、生き別れ、家族や自分自身の病気、生き別れ、死別、学校や職場におけるいじめ、友達との別れ、失恋、卒業、離婚、孤立、ペットの死、挫折、失業なのによって引き起こされます。
非常に範囲が広いです。
そんなグリーフをケアするのが喪失悲嘆カウンセラー グリーフ専門士です。
私はそのグリーフ専門士です。
私は、死生学の学びからグリーフというものをしりました。
なぜか惹かれて学ぶようになりました。
その時は死別の悲しみというとらえ方でした。
自分としてはそんな悲しみはあったっけ?という感じでした。
講義を受けていくうちに、自分の中にあるグリーフが次から次へと出てくるのです。
学びの場というより、癒しの場となっていきました。
死別だけだと思っていた私。
上のような広範囲の部分を知り、
でてくる、出てくる。
家族との関わり・・・なかなか認めてもらえない。
中学校でのいじめ・・・小学校の友人から仲良かった友からの無視。
祖父との死別・・・商売をしていたので、親が葬儀の手続きに忙しく、商売を私がしていた。
じいちゃん子の私は別れを意識した時は、すでに火葬のてまえだった。
5回の流産
大切な自分を理解してくれている人の死
やけどによる顔のただれ
このような喪失・悲嘆があったんです。
そこから生まれた精神的なゆらぎ。
病気かと思うこともありました。
でも、これもグリーフによる症状だったのです。
そんな事とは思わず
私は、人間として不完全なものと思っていました。
グリーフのプロセスとしは、学者によって若干違いがありますが
混乱→否認→怒り→抑うつ→諦観→転換→再生
全体にわたって哀しみがあります。
(必ずこの順番ではいきません。とぶことまります。)
私のいじめややけどの経験から
なぜ?から始まりうそでしょ?あの人までがとなり、どうして私がという思いからその状態が続くと自分へ責めが入り、自分への否定 何もできない、何もできない。そして、周りが自分の噂をしているとかと感じ、朝早くから目が開いたり、
眠れなくなったりしていきました。きっかけがあり、少しずつ生きていこうと思うようになり、でも怖さが何ども出てきて、一進一退を繰り返し、普通になっていきました。
先日の友人の死も
混乱から始まり、うそでしょと否認 そして涙がどこでも出てしまう。
いつもその事を考える。上のような経験があるから、やばいかもと感じました。
でも、今回はグリーフの学びがありました。
それはおかしいのではない。
当たり前の現象と思うことで、
見方がかわりました。
ありのままの自分を受け入れたのです。
老子のこの言葉にも励まされました。
このような喪失・悲嘆から
心の状態が不安定になっていく人は多いと思います。
特に今のようなストレス社会・腹をわってのコミュニケーションをしない傾向にある時代は、喪失感は多いのではないでしょうか?
死別に対しては、大きい災害もありその場にいる方のグリーフ。
死別だけではありません。家の崩壊、環境の崩壊、今迄にあったものが無くなる。
昨日まで見ていた山がない。それだけでもグリーフが起こります。
これから必要となる大切なケアだと思います。
もし、上のような体験したあとに、心の状態がおかしいと感じていたら、それは異常ではないと知ってください。また、身近にそんな人がいたら、即病院ではなく、その人に寄り添い話を淡々と聞いてあげる。
それが出来ない、出来にくい時は、専門家にご相談ください。