皆さんこんにちは♪おかんです!
今年の春亡くなられた檀那寺のご住職に聞いた話をふと思い出して、茶会に当てはめてみました。
仏教の考え方の一つ『唯識』に「一水四見」という言葉があります。一口に水といっても四つの見方に見える。つまり、同じものでも見る立場や心のもちようによって違うように見えてくるという意味です。
① 天人には水がきれいに透き通ってガラスのように見える。
② 人間の私たちには、そのままの水に見える。
③ 魚たちには住み家と見える。
④ 餓鬼には燃えた血膿に見える。
これは「人」「人間」「魚」「餓鬼」という立場で「水」を見た場合、それぞれ異なって見えることを例えたものです。これを私たちに当てはめてみると、私たち人間は、みんな生まれ育った環境や境遇、受けた教育、経験したことや考えてきたこと、興味を持ったことなどさまざまで、それぞれその人独自の世界観があり、価値観があります。それが大きなひとつの「ものさし」となって、いろいろな事を認識しています。
それでは、自分が見ている世界は、他人から見てどのように見えるのでしょうか。同じものを見ていても、気づかないことがあるのではないでしょうか。
世界というのは、実は同じ一つの世界にみんながいるのではなくそれぞれがそれぞれの世界を作り上げてそれぞれの世界を見ているということです。つまり、人それぞれが各々の世界をもっていて、どこかの接点で同じ共有をしています。そこから「つながり」が生まれてくるわけです。
ここからがおかん流
では、この真理に茶会を当てはめてみましょう!
素晴らしいお道具や茶室をお持ちの方が名士を招いてご披露されるために開かれる茶会、お茶の先生が生徒さんの研修の為に開かれる茶会、米寿のお祝いの為の茶会、おかんのように決まった友人だけを招いて、
自分なりにプロデュースしたイベント的な手作り茶会等、
茶会も考え方や立場、などで様々です。
若い皆さんは特に茶会はお茶の先生が開くもので、客人として行くものだとおもっていませんか?そして銘のある書付の道具でなければ開けない。茶会はセレブの方のするものだと思ってるのでは?
お茶会は誰が開いても良いのですよ。決して茶会は茶名をお持ちの先生一択ではありません。
私のように女子会に毛の生えた様な友人とのごっこ茶会なら別に先生に話す必要もありません。
お料理が苦手ならお寿司でも用意すれば良いし、和室がなければテーブルで立礼席にすれば良い訳です。
お釜が無ければ、ポットで盆略点前でも良いと思います。
今有る物で、自分で出来る範囲の事を工夫して実行するだけで良いと思います。自分なりの感性でお客様に喜んでもらえる工夫を考えるのは楽しいですよ♪
おかんはおもてなしがマイブームです。
おもてなしの真髄は茶事だと思います。
茶事の亭主は総合プロデューサーですから!
なぜ今頃茶会を開くのがマイブームなのか自問自答したら、年齢が大きく作用しています。おかんは来年70歳色々な事に挑戦して実行できるのもここ10年ぐらいが限界たと気づいたからです。体力気力のある間にやりたかったことをやっておかなければ悔いが残ります。
リタイアしてやっと時間に余裕が出てきましたからね!
なのでここ10年ぐらいはぶっ飛ばすつもりです🔥
おかんは昔からいつも画像が浮かぶんです。納涼茶会ごっこも、ある一枚の画像が事ある毎に浮かんで来るんです!もう、それを実行しないとおさまりませんわ。
絵を描く時も、筆を持った時点では頭の中では絵は完成してるので、あとはいかにその絵を実現するかだけです。
おかんは恵まれたことにJガールさんやマダムS&Yの着物友達が楽しみにしてくれてるのでやりがいがあります!正装で着てくれるんですからこんな有難い事はありません!それにその茶会の記事をブログで発信し、3800人のフォロアーに読んでいただけるんですから、幸せ者です!
おかんはいつも頭の中の一枚の絵に導かれるように動いてます。
元気なうちになるべくいろんなことにチャレンジしてボケないようにしようと思いますので、今後ともお付き合いよろしくお願いします。
デハデハ
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