「圧勝」という言葉ほど、空虚に聞こえる結果はなかったかもしれない。

2026年衆議院選挙。
自民党は議席数296。数字だけ見れば、文句のつけようがない大勝だ。
それでも開票が進むにつれ、どこかおかしな空気が漂っていた。

象徴的だったのが、**比例代表での“候補者不足”**という異例の事態だ。
自民党は比例票を大量に獲得したにもかかわらず、名簿に載せた候補が足りず、

14議席を他党に譲ることになった。

勝ちすぎて、議席を取りきれない。
これほど皮肉な話があるだろうか。
 


「勝ったはずなのに、スッキリしない」理由
今回の選挙結果を前に、多くの人が感じたのは、
「確かに自民が勝った。でも、何かが残っていない」という感覚ではないだろうか。

比例で本来81議席取れていたはずなのに、実際は67議席。
南関東、東京、北陸信越、中国――各ブロックで議席が“こぼれ落ちた”。

制度上の話をすれば説明はつく。
小選挙区と比例の重複立候補者が軒並み当選し、比例で救済される人がいなくなった。
その結果、票はあるのに受け皿がないという、歪んだ現象が起きた。

でも、問題は制度だけだろうか。
 


「誰に投票したのか、分からない」選挙
今回の選挙を振り返って、多くの有権者がこう感じているはずだ。

何が争点だったのか、正直よく分からない

野党が何をしたいのか、最後まで見えなかった

だから「とりあえず自民」になった

それは積極的支持ではなく、消去法の結果だ。

その空気が極端な形で表れたのが、
「票は集まったが、候補が足りない」という事態だったのではないか。

つまり今回の圧勝は、
熱狂の結果ではなく、選択肢の不在が生んだ勝利だった。
 


郵政選挙と似て、まったく違うもの
2005年の「郵政選挙」でも、同じ現象が起きた。
自民党が勝ちすぎて、比例候補が足りなくなった。

ただ、当時と今とでは決定的に違う点がある。

あの時は、

郵政民営化という明確な争点

賛成か反対か、白黒はっきりした構図

国民的な議論と熱量

があった。

では、2026年はどうだったか。

「何となくこのままでいい」
「変わるのは怖い」
そんな温度の低い空気の中で、静かに議席だけが積み上がっていった。

それが今回の“圧勝”の正体だ。
 


勝者がいない選挙だったのかもしれない
自民党は勝った。
数字上は、間違いなく。

でも、

議席を取りきれなかった自民

存在感を示せなかった野党

選択肢を与えられなかった有権者

この選挙で、本当に得をした人は誰だったのだろうか。

比例で14議席を“もらった”他党も、
それが支持の結果なのか、制度の副産物なのか、胸を張って言えるだろうか。
 


「勝ちすぎた」という危うさ
圧勝は、ときに慢心を生む。
そして、危機感を奪う。

候補者が足りなかったという事実は、
組織が「勝つ前提」で動いていなかった証拠でもある。

本当に国民の支持が爆発的に高まっていたなら、
その受け皿を用意していなかったのは、なぜなのか。

それを「制度の問題」で片付けてしまった瞬間から、
次の選挙のほころびは、もう始まっているのかもしれない。
 


この違和感を、忘れてはいけない
2026年衆議院選挙は、
「歴史的圧勝」として記録されるだろう。

でも同時に、
「誰も熱狂していなかった選挙」
「勝者のいない圧勝」
として、記憶されるべきなのではないか。

比例候補が足りず、議席が宙に浮いた――
その事実こそが、今の政治と有権者の距離を、何より雄弁に物語っている。

次の選挙で問われるのは、
議席数ではない。

「なぜ、あの時あれほど票が集まったのか」
その理由に、きちんと向き合えるかどうかだ。