時間の大切さを感じた瞬間は?
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東京天文台(現:国立天文台)と財団法人・生活改善同盟会が1920年(大正9年)に制定。
「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられた。
生活改善同盟会は、文部省(現:文部科学省)の外郭団体であり、1920年5月16日から7月4日まで東京教育博物館にて「時の展覧会」を開催し、期間中の6月10日を「時の記念日」として設定して行事・宣伝を行ったことに始まる。
記念日の日付は、奈良時代に成立した日本最古の歴史書『日本書紀』の天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦671年6月10日)の項に、「漏刻(ろうこく)を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す」とあることにちなむ。「漏刻」とは水時計のことで、容器に水が流入・流出するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる。つまり、この日は日本で初めて時計装置が使われた日である。
また、1999年(平成11年)のこの日、日本の標準時を電波で全国に発信することが開始された。電波を送信する施設は福島県の大鷹鳥谷山の山頂付近にある「おおたかどや山標準電波送信所」で、郵政省通信総合研究所によって建設され、40kHzの長波で高さ250mのアンテナから全国に発信されている。
2020年(令和2年)に記念日の制定100周年を迎えた。また、2020年時点で、6月には「国民の祝日」がないため、この「時の記念日」を6月の国民の祝日にすべきとの意見も多いが、実現には至っていない。
関連する記念日として、兵庫県豊岡市出石(いずし)町にある日本最大にして最古年の時計台「辰鼓楼(しんころう)」が動き出した日に由来して、9月8日は「いずし時の記念日」となっている。
(引用終わり)
第38代・天智天皇は、『大化の改新』で日本史の教科書にも載っている中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と同一人物ですね。
漏刻(水時計)が作られたのは、中大兄皇子時代、斉明天皇の御代である660年のようです。
これを671年6月10日に大津宮の新台に置いて時を打たせたのが、今日の記念日の由来ですね( ・ω・)
さて、本日の記事紹介は、
神武征討記の中から、作者お気に入りのシリーズにしましょう。
神武征討記( ・ω・)
第1部 少年期、出雲大社学宮編より
三部作
第7話「サバイバルゲーム!大魔王スサノオへの挑戦!」
現在、神武征討記は第3部神武東征・退魔大戦編が連載中ですが、
振り返ってみると、最初期に書いていたこの第7話に、すでに
魔王軍との戦いを繰り広げていくことになる土壌があったのかも知れませんねぇ( ・ω・)
最近、日本の歴史を考えていて、日本という国は、世界史的に見ても、対外戦争をすることが少なかった国だと感じています。
日本が異国から軍事侵攻を受けたことというのは、
せいぜい平安時代の刀伊の入寇(1019年)、
元寇(1274年、1281年)、
あとは太平洋戦争のときのアメリカだけしか確認できないように思います。
このうち、刀伊の入寇は、果たして異国による軍事侵攻と呼べる規模だったのか疑問があります。
世界帝国であったモンゴル帝国(元)に高麗が従軍させらたときを除いて、
中国の王朝や朝鮮半島の王朝から日本が軍事侵攻を受けたことって、実は歴史的には一度もありません。
日本が朝鮮半島に出兵したのは、663年の白村江の戦い。このときは日本が出兵して、唐・新羅連合軍に敗れました。
次に朝鮮半島に出兵したのは、豊臣秀吉による朝鮮出兵(1592年、1597年)。
朝鮮・明連合軍と戦い、最終的には秀吉の死により撤退しました。
これも日本側から攻めた戦争です。
大日本帝国時代を除くと、日本はこれだけしか『対外戦争』しておらず、世界史的には『極めて戦争の少なかった国』だと評価できるように思います。
まあ、大日本帝国時代には、アジア・太平洋諸国を大規模に巻き込む太平洋戦争を起こしたわけですが…
日清戦争にしても、日露戦争にしても、日本が攻められて守った戦争ではなく、
日本から朝鮮半島や中国大陸に進出して清(中国)なりロシアと衝突した戦争でした。
逆に言えば、『日本から仕掛けていかなければ、異国に攻められた経験がほぼ無いに等しい』のが日本という
極東の島国の世界史的な特殊性のように思います。
それなのに、防衛力強化や集団的自衛権(内実はアメリカの軍事行動に協力するための方便)なんて本当に必要なのか、
日本人は、冷静に分析してみる必要があるように思います。
なんだか、時の記念日と関係ないことを書いてしまったような気もしますが、
天智天皇(中大兄皇子)が出てきたので…
読んでくださり、ありがとうございました。
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