花火の思い出教えて!

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こんにちは。
アレテーを求めて~
今日もトコトコ( ・ω・)
弁護士の岡本卓大です。
 
【コウペンちゃんⒸるるてあ】
 
今日は、花火の日ですか。
「花火の思い出」というお題なので、
私が大学三年生のとき、実行委員長をやった第25回白鴎祭のことを書きますかね。
私の出身大学の白鴎大学も秋に学園祭をやっています。
1998年10月25日(日)白鴎祭二日目に花火を上げました。
その年の白鴎祭直前の時期は、思川の河川敷が水没するような大雨もありました。
学園祭一日目の10月24日(土)は小雨まじりの天気だったように記憶しています。
いろいろと問題が発生しつつ、乗り切った白鴎祭。
そのフィナーレが花火でした。
夜空に輝く花火。
若い学生時代の思い出ですね( ・ω・)
 
(雑学ネタ帳から引用)

1733年(亨保18年)のこの日、隅田川の両国橋付近で水神祭りの川開きが行われ、慰霊を兼ねた花火が打ち上げられた。これが「両国川開きの花火」の始まりであった。

この年は第8代将軍・徳川吉宗(とくがわ よしむね、1684~1751年)の治世で、全国的に凶作に見舞われ、大飢饉になったうえ、コロリ(コレラ)が大流行して多くの死者が出た。この犠牲者の慰霊を兼ねて打ち上げられた花火は、やがて庶民の楽しみとして定着した。

その後、江戸を代表する花火師の屋号である「玉屋」と「鍵屋」が技を競うようになった。両国橋を挟んで上流を玉屋が、下流を鍵屋が受け持ち、交互に花火を上げる二大花火師の競演であった。この時、花火師を応援する声として「たまや~」「かぎや~」の掛け声が生まれた。

両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦、その後、昭和に入ってから交通渋滞など交通事情の悪化、隅田川の水質汚濁による臭害などにより中断された時期もあるが、1978年(昭和53年)に現在の「隅田川花火大会」に名称を変えて復活し、以後毎年7月に開催されている。ただし、2020年(令和2年)から2022年(令和4年)までの3年間は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行拡大の影響を受けて、開催が中止された。

 

隅田川花火大会

 

東京を代表する花火大会として、隅田川花火大会のほかに、神宮外苑花火大会、東京湾大華火祭があり、これらは「東京三大花火大会」と呼ばれている。また、「日本三大花火大会」は、秋田県大仙市の全国花火競技大会(大曲の花火)、茨城県土浦市の土浦全国花火競技大会、新潟県長岡市の長岡まつり大花火大会とされている。

(引用終わり)

 

本日の記事紹介。

宇宙一わかりやすい僕らの憲法のお話( ・ω・)

1 憲法と立憲主義

 

2 民主主義って、多数決のことじゃないの?

 

3 三権分立 独裁者を生まないためのシステム

 

 

子供のころは、淡路島でも洲本や南あわじ等、いろいろな花火大会を見に行ったものです。

今はわざわざ花火を見に人混みに行くことはありませんが、花火大会があると花火が見えることもありますね。

花火は打ち上げると一瞬ですが、作るのは大変だし、お金もかかります。

でも、それを無駄なことと考えず、日本の伝統文化でもある花火をこれからも楽しんでいきたいものですね( ・ω・)

読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

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