こんにちは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

『神武征討記』神武東征編1(第32話~第38話)のまとめ記事です( ・ω・)

 

この物語は、日本という国の原型を作った一人の

空前絶後の英雄の生涯を描いた物語である。

 

神武征討記

第32話「それぞれの人事

~神武十将軍と大和十二神将」

 

前回までの神武王太子の新婚旅行編、関東争乱編から時は一気に12年流れ、

神武は30歳。家庭においては、神武は、アイラとの間の、

タギシミミ(11歳)、キスミミ(9歳)の二児の父親となっていた。

28歳のときに、王に即位した神武は、豊後(大分県)の宇佐に移り、さらに筑紫(福岡県)に移り、現在は、

筑紫にて政務を執っている。

王に即位した神武様は、天孫一族に忠誠を誓う諸国の内政・軍制に大改革を行い、

現在では、九州全土【筑紫・豊前(福岡県)、豊後(大分県)、肥前(佐賀県・長崎県)、肥後(熊本県)、日向(宮崎県)、

薩摩・大隅(鹿児島県)、対馬、壱岐)】、周防・長門(山口県)、出雲・伯耆・隠岐(島根県)、因幡(鳥取県)、

四国【伊予(愛媛県)、土佐(高知県)、讃岐(香川県)、阿波(徳島県)】、紀伊(和歌山県)、伊勢・志摩(三重県)、

尾張(愛知県西部)、美濃・飛騨(岐阜県)、近江(滋賀県)、越後(新潟県)、越中(富山県)、上野(群馬県)、武蔵北部(埼玉県)

の各国が、神武の勢力に服属している。

他方、関東争乱終結時に結ばれた10年の休戦協定が失効してから2年。

その間に、大和勢力もまた大きな勢力拡大を行い、山城・丹波・丹後(京都府)、越前・若狭(福井県)、加賀・能登(石川県)、淡路・播磨・但馬(兵庫県)、吉備(岡山県)、安芸(広島県)、駿河(静岡県)、甲斐(山梨県)、信濃(長野県)

を攻略し、神武勢力と大和勢力によって、日本(ヒノモト)が二分され、戦乱が続いているというのが、この物語の舞台となる時代となる。

神武は、アチタケル、チチブカネビメ、サルメノウズメ、トサノリョウマ、ヒヨシマル、オワリノブヒメ、

エツノケンシン、カムイ、ツチミカドヒメ、ショウリュウキの10人を神武十将軍に任命。

他方、大和(奈良県)では、15歳となった大和勢力の女王ヒメタタライスケヨリヒメが、

ヤマトノショウトク、キョウノミチナガ、ヤマトノアヤタムラマロ、クロウノウシワカ、ナンボクチョウタカウジ、

トクソウノトキムネ、オンミョウジセイメイ、ヘイケノキヨモリ、セゴドンノキチノスケ、ヘイハチトウゴ、

ミカワノタケチヨ、ゲンジノヨリトモら大和十二神将の前に初めて姿を見せ、大和による日本(ヒノモト)統一

の檄を飛ばす。

神武30歳、ヒメタタライスケヨリヒメ15歳。この二人をそれぞれの王と仰ぐ二大勢力による日本(ヒノモト)全土を巻き込む大戦が始まろうとしていた!

 

 

第33話「狙いは四国!キョウノミチナガ軍団の調略!」

 

神武30歳の年の1月2日。

筑紫(福岡県)で神武勢力の各軍団の任命式が。

大和(奈良県)で大和勢力の大和十二神将と盟主ヒメタタライスケヨリヒメの対面があった。

ここから時代は一気に動き出すことになる。

両勢力とも評定が終わり、それぞれの武将はそれぞれの地に散っていく。

舞台は、四国の土佐(高知県)。

土佐は、神武勢力第2軍団であるトサノリョウマ軍団の本拠地です。

筑紫での評定の結果を受け、四国の武将達に方針を説明するトサノリョウマ。

しかし、土佐で最強の兵力を持つ豪族ソガベモチチカがこれに反発する。

ソガベモトチカをなだめ、なんとか協力を取り付けるトサノリョウマ。

しかし、ソガベモトチカに、大和十二神将キョウノミチナガの調略の手が伸びる。

キョウノミチナガの調略・・・

ムラサキノシキブは、ソガベモトチカの軍師であるソガベチカヤスに、

セイショウノナゴンは、ソガベモトチカ軍の勇士ソガベチカサダに

それぞれ近づいていく。

セイショウノナゴンはその美しさと利発さで、

ムラサキノシキブはその美しさと知性で、

それぞれソガベモトチカの弟達を籠絡していく・・・

キョウノミチナガとソガベモトチカ三日後、トサノリョウマの下に、阿波(徳島県)のアワノケンザンから援軍の要請が。

淡路(淡路島)から鳴門海峡を渡り、セゴドンノキチノスケ軍1万が阿波に攻め込んでくる。

土佐から8000の兵を率いて阿波の援軍のために出陣するソガベモトチカ。

アワノケンザン率いる阿波軍1万は、鳴門海峡を渡ってきた

セゴドンノキチノスケ軍1万と土佐から出陣したソガベモトチカ軍8000に挟撃され、壊滅。

そして、伝令は、すべてキョウノミチナガの手の者により斬られ、トサノリョウマは

阿波からの情報を完全に遮断されていた。

阿波は、大和勢力のセゴドンノキチノスケ軍の手に落ち、1万の阿波軍は壊滅し、兵は潰走。

アワノケンザンとアワノサケヒメは命からがら、讃岐(香川県)へ逃げ延びる。

そして、数日後、土佐に1万8000のセゴドンノキチノスケ、ソガベモトチカ連合軍が攻め寄せてくる。

2000の兵力しか無いトサノリョウマは迷わず土佐を放棄して伊予(愛媛県)に撤退し、土佐は大和勢力の手に落ちる。

なんとトサノリョウマ軍団の領国の半分に当たる阿波・土佐を奪われるという戦いの幕開け・・・

そして、神武のいる筑紫(福岡県)の対岸である下関に迫るヘイケノキヨモリ軍4万の大軍・・・

果たして、この戦いはどうなっていくのか?

 

 

第34話「激闘!下関防衛戦!」

 

大和十二神将キョウノミチナガの調略により、トサノリョウマ軍団が

阿波(徳島県)・土佐(高知県)の四国半分を奪われるという衝撃の戦いの幕開け。

さらに神武様の本国である筑紫(福岡県)の対岸である長門(山口県)下関に

大和十二神将ヘイケノキヨモリが4万の大軍を率いて侵攻してくる。

神武軍は、アカマホウイチ率いる周防・長門(山口県)軍1万と、

神武が派遣した神武十将軍カムイ、ツチミカドヒメ率いる

2万の援軍、合わせて3万でヘイケノキヨモリ軍と戦うことになる。

周防・長門王としてのプライドを持つアカマホウイチは、

神武から派遣された将軍カムイと衝突してしまう。

カムイ・ツチミカドヒメは、けしてアカマホウイチ軍は打って出てはいけないと

言い残し、防府へ向けてヘイケイノキヨモリ軍3万の迎撃に2万の兵で出陣する。

迎撃に出た将が、神武十将軍のカムイとツチミカドヒメ、下関要塞を守るのが

アカマホウイチであることを把握したヘイケノキヨモリは、海上にいるヘイハチトウゴ水軍に

狼煙を上げ、ヘイハチトウゴ水軍により下関を落とす作戦に出る。

ヘイハチトウゴ軍の参謀マツヤマノサネユキの流した虚報により、宇部海域へ誘い出される

アカマホウイチ水軍1万。両軍は、海上で激突するが、潮の流れを読み切り、

有利な位置取りをして海上を自在に動き戦うヘイハチトウゴ水軍に対してアカマホウイチ水軍は、

まったく対応できず、戦は一方的なものになっていく・・・

アカマホウイチ軍 死者9879名、負傷者121名、損傷率100%。

ヘイハチトウゴ軍 死者0名、負傷者3名、損傷率0.03%。

海上での戦いは一方的なものとなりアカマホウイチ水軍1万は全滅。

燃えさかる旗艦の中、死を覚悟するアカマホウイチ。それを、突然、海上に現れた

ツチミカドヒメの眷属である妖怪・海坊主が救出する。

一方、カムイは、周辺の民達を避難させ、ヘイケノキヨモリ軍3万を蝦夷地(北海道)

の寒さと雪を作り出す特殊能力により一人足止めし、下関要塞へ退却する。

初戦は、周防長門の兵一万が壊滅するという神武軍の惨敗に終わる。

そして無傷のヘイケイノキヨモリ軍3万とヘイハチトウゴ水軍1万の合計4万の大軍が、

水陸から下関を包囲する。

神武が3万の水軍を率いて出陣できるのは十日後。

ヘイケノキヨモリ、ヘイハチトウゴ率いる4万の大軍に包囲される下関。

下関の防衛戦は、まだ続く・・・

 

 

第35話「逆転の秘策!神算鬼謀チチブカネビメ!」

 

4万の軍勢で下関に攻め寄せる大和十二神将ヘイケノキヨモリとヘイハチトウゴ。

周防長門王アカマホウイチの率いる1万の水軍は、ヘイハチトウゴ水軍により全滅。

神武十将軍カムイ、ツチミカドヒメが守る下関要塞は、総勢4万の軍勢に包囲され、

激しい攻城戦が開始される。

筑紫(福岡県)神武王宮では、チチブカネビメが神武に安芸(広島県)攻略のための

計略を提案。チチブカネビメの策が採用され、チチブカネビメは神武のヒヨシサンノウ

への命令書を携え、イツクシマ三姉妹と護衛のハヤトイエヒサを連れて、

商人の船で周防の北海岸を通り出雲に向かう。

下関要塞では、攻城用兵器・衝車を用いて、城門を攻撃するヘイケノトキタダ隊。

ついに城門は破壊され、下関要塞内へ突入してきたヘイケノキヨモリ軍と

カムイ隊との激しい白兵戦が始まる。

城門を破り、そして城壁を乗り越え要塞内に突入してくるヘイケノキヨモリ軍4万。

守備兵は2万。兵力差が響いき、次第に倒れていく下関要塞の兵達・・・

厳しい籠城戦の中、信頼関係を築いていくアカマホウイチとカムイ。

そして、神武旗艦を含め先発軍3万の軍船が完成が、ついに神武は、

ショウリュウキ、アチタケル、サルメノウズメ、神武近衛兵団、ヒョウスベ兵達を

含む3万の水軍で下関へ向けて出陣。

その頃、ヘイケノキヨモリの五男ヘイケノシゲヒラが守る安芸(広島県)で、

イツクシマ三姉妹に指導された民達が大規模な反乱を起こす。ハヤトイエヒサの武勇。

さらに、出雲(島根県)から9000の軍勢を率いてチチブカネビメが安芸を攻撃し、

ヘイケノシゲヒラを捕虜とする。

壇ノ浦では、神武水軍3万とヘイハチトウゴ水軍1万により壇ノ浦の海戦が開戦する。

ショウリュウキが死んだ恋人陸瑜から受け継いだ呉の水軍技術と戦法。闘艦による

投石とアチタケル、神武近衛兵団による白兵戦により、戦いは神武軍の優勢に進み、

ヘイハチトウゴは被害を最小限に抑えながら撤退する。

神武軍の下関上陸により、ヘイケノキヨモリ軍は、下関要塞の包囲を解き、安芸へ撤退。

しかし、すでに安芸はチチブカネビメにより攻略されており、ヘイケノシゲヒラは、

額に炭で「にく」と書かれた屈辱的な姿で解放される。

ヘイケノキヨモリは、チチブカネビメの挑発に乗らず、本国摂津(阪神地域)の神戸に

撤退していく。

神武軍は、政庁を安芸の広島に移転し、重臣達を筑紫から安芸に異動させ、

またアイラ達家族も安芸に呼び寄せる。

以後、数年間、神武は安芸を本拠地とすることになる。

神武軍の安芸攻略。その情報は、全国各地に広がり、ヘイハチトウゴ水軍を破った

神武様の武名は、さらに大きなものとなる。

その情報は、信濃(長野県)のミカワノタケチヨにも入る。そして、次回は、

オワリノブヒメが動く?

 

 

第36話「戦女神オワリノブヒメの華麗なる戦略!」

 

チチブカネビメの計略による安芸(広島県)の奪還と、

神武が安芸に本拠を移したとの報は、大和勢力に大きな衝撃を与えた。

大和(奈良県)オオモノヌシ王宮では、評議が行われ、吉備(岡山県)の

守将としてトクソウノトキムネと5万の騎馬兵団を異動されることを決定。

また、吉備・播磨等の住民を和泉・河内(大阪府)等に強制移住させることとした。

美濃(岐阜県)では、ミカワノタケチヨの攻略法に悩むオワリノブヒメのもとに、

越前(福井県)の浪人アケチノジュウベエが仕官を求めてくる。

アケチノジュウベエの北陸奪取案を聞いたオワリノブヒメは、アケチノジュウベエを

総軍師に任じ、北陸攻略の策を練り始める。

初めて会った浪人者を年4800万という高禄で召し抱え、

総軍師に任命する・・・

それが、このオワリノブヒメという女王のすごさ。

能ある者は、氏素性関わりなく登用し、使い倒す。

アケチノジュウベエを軍師としたオワリノブヒメは、一部を除く将兵には、ミカワノタケチヨの

信濃攻略と見せた上で、北陸攻略の準備を始める。

作戦の準備は、マエダノマツ、タキガワノカズメら、一部の腹心の将を中心に進められる。

越前、加賀等北陸諸国の情報収集。隣国・山城の情報収集。

上野(群馬県)にいるエツノケンシンへの使者。伊勢(三重県)にいるヒヨシマルへの使者。

それらが秘密裏に進められた。

その頃、大和勢力の支配下にある越前(福井県)。ここは大和軍団総司令官ヤマトノアヤタムラマロのテリトリー。

そして、その越前・加賀等北陸の支配を任されていたのは、ドウキョウという武将。

ドウキョウは、毎日のように、美女を国中からさらってきては姦淫するという外道のような行いをしており、

当然、民達のドウキョウの支配に対する怨嗟の声は日に日に広がっていく。

その民の怨嗟の声をヤマトノアヤタムラマロから与えられた2万の兵力で押さえ込んで、

欲望のままに民の暮らしを考えぬ統治を行っていたのが、このドウキョウだった。

間者による情報収集の結果を確認する美濃のオワリノブヒメは、ドウキョウに恨みを抱く加賀(石川県)の民達を扇動し、

美濃を出陣。近江(滋賀県)の兵と合わせて、2万の兵力で越前に侵攻する。それに対して、

ドウキョウも2万の軍で迎え撃つが、敦賀での合戦は、オワリノブヒメ軍 死者159名、負傷者351名、損傷率2.6%。

ドウキョウ軍 死者1783名、負傷者5728名、投降5511名、損傷率65.1%。

という結果に終わりオワリノブヒメ軍が快勝する。

投降兵を加えたオワリノブヒメ軍は2万5001名。

そのうちの3000を若狭の平定に回し、オワリノブヒメは、2万2001名の兵で福井要塞を包囲。

そこに、加賀の反乱兵約5万を率いたマエダノマツが合流。総勢7万2000の大軍勢で福井要塞の攻城を開始する。

ドウキョウは、部下のワキハキヨマロに首を打たれ、ワキハキヨマロは降伏・開城を指示した上で自害。

福井要塞は開城され、オワリノブヒメは越前・若狭(福井県)、加賀・能登(石川県)を平定する。

オワリノブヒメの華麗なる戦略が成功し、北陸地方を完全平定することに成功した神武勢力。

次は、関東に動きが!軍神エツノケンシン!いよいよ出陣!

 

 

第37話「軍神エツノケンシン出陣!思川の決戦!」

 

大和軍団ドウキョウを華麗な戦略で倒し、北陸を平定したオワリノブヒメ。

そして、オワリノブヒメ軍団の北陸攻略は、越中(富山県)、越後(新潟県)、

上野(群馬県)、武蔵北部(埼玉県)を領有するエツノケンシン軍団の戦略にも影響を与える。

これまで、北陸と関東の二方面に兵を割かなければならなかったエツノケンシン軍団は、

北陸の守りを考える必要が無くなり、

エツノケンシンは、越中の守備兵を越後に異動させ、越後から精鋭部隊を本国となっていた

上野に集める。

エツノケンシン軍5万の配置は、

越中2000(守将エッチュウトヤマ)、越後8000(守将ナオエノカゲツナ)、

上野3万(君主エツノケンシン)、武蔵1万(守将ヒカワノドウカン)。

エツノケンシンの本国上野(群馬県)に3万の兵力と、エツノケンシン軍団の将達、

ビワジマノウサミ、カキザキノイズミ、サイトウショウキ、ミノワノナリマサ、ヌマタオイカミらが、

結集する。

エツノケンシンの軍勢は、全員の軍装が黒で統一された騎馬軍。

近隣の諸豪族達は、軍神と呼ばれるエツノケンシンが率いるこの黒い騎馬軍団を恐れていた。

高崎を出陣した無敵のエツノケンシン騎馬軍団2万は、領内の伊勢崎から桐生へ。そして、桐生から、

ゲンジノヨリトモ軍団のテリトリーである下野の足利に進み、足利の諸豪族を簡単に打ち破り、足利を制圧。

佐野で佐野・栃木の兵2000をまとめて仕官を求めてきたサノラアメンを登用したエツノケンシンは、

サノラアメンとヌマタオイカミを宇都宮へ派遣し、軍勢2万2000を率いて、小山に向かう。

そして古河を出発したゲンジノヨリトモ軍5万とエツノケンシン軍2万は、思川で激突する。

思川での合戦は、エツノケンシン軍 死者163人、負傷者1784名、損傷率9.7%、

ゲンジノヨリトモ軍 死者1万5237名、負傷者1万8143名、損傷率66.8%で、

エツノケンシン軍が勝利する。ゲンジノヨリトモ軍の猛将カズザカイハチロウもエツノケンシンに討たれる。

ゲンジノヨリトモ軍に壊滅的な打撃を与えたエツノケンシン軍は、そのまま、下総・常陸(茨城県)へ侵攻。

圧倒的なエツノケンシン軍の強さを聞いた下総・常陸の豪族達は、ほとんど戦うことなく、エツノケンシンの配下になる。

これにより、関東のうち、武蔵北部(埼玉県)・上野(群馬県)・下野(栃木県)・

下総・常陸(茨城県)・は、エツノケンシン軍団の支配下に入り、

武蔵南部(東京都)・相模(神奈川県)・上総・安房(千葉県)・伊豆(伊豆半島)が

ゲンジノヨリトモ軍の勢力となり、関東の両勢力のバランスは拮抗することになる。

 

 

第38話「ヒヨシマルの軍師!ハンベエとカンベエ!」

 

神算鬼謀チチブカネビメの知謀による安芸(広島県)攻略。

戦女神オワリノブヒメの大戦略による北陸平定。

そして、軍神エツノケンシンの武勇による北関東奪取。

四国以外では連戦連勝中の神武軍。

ヒヨシマル軍団には、一人の軍師がいた。

名をミノノハンベエと言う。ミノノハンベエは、神武やヒヨシマルより2歳年下の28歳。

戦国時代、羽柴秀吉の最初の軍師であった竹中半兵衛の前世武将です。

ミノノハンベエは、神武様の新婚旅行中に、ヒヨシマルがオワリノブヒメに預けられ、

美濃(岐阜県)攻略に従軍したときに、ヒヨシマルと出逢い、その軍師となりました。

オワリノブヒメ軍団による北陸平定戦の間、近江に駐屯し、隣国・山城(京都府)に

流言を流し、その知謀によって、大和十二神将のナンボクチョウタカウジを山城から動けなくすることに成功しています。

ヒヨシマルのミノノハンベエに対する信頼は厚く、ヒヨシマルは常にミノノハンベエを

側に置き、その意見を聞いて判断を決めていました。

自分より2歳年下のミノノハンベエを、まるで父や兄のように慕うヒヨシマル。

そんなある日、ヒヨシマルの元に仕官を求める24歳の浪人がやってきます。

その浪人は、播磨(兵庫県)の生まれ。名をヒメジノカンベエと言いました。

このヒメジノカンベエは、羽柴秀吉のもう一人の軍師・黒田官兵衛の前世武将です。

ヒヨシマルはヒメジノカンベエを登用し、ミノノハンベエとヒメジノカンベエは、情報収集・分析を行い、

伊賀攻略の準備を進めていきました。一月の準備後、和泉に出陣するミノノハンベエ軍1万1000。

ナンボクチョウタカウジ軍団は2万の兵を二手に分け、

1万7000で和泉へ進むミノノハンベエ達の1万1000の迎撃に、

アカマツノエンシンリョク軍3000が伊賀を超えて伊勢攻略のため出陣しました。

伊賀の上野砦では、ヒメジノカンベエの偽装工作によって、上野砦の守将ロッカクノジョウテイは討ち死に。

3000人の城兵達は全員投降しました。

それから後れて、アカマツノエンシンリョク軍3000が上野砦に到着します。

酒を飲んでいたアカマツノエンシンリョクに、ヒヨシマル、コイチロウ、

キノシタノオネ、ハチスカノコロクが一斉に斬りかかる。

アカマツノエンシンリョクは、何が起こったのかを理解する間も無く、

ハチスカノコロクに首を打たれた。

もともとが大和軍により徴兵された兵達。大将が討たれた後に命をかけて戦おうという者はいなかった。

アカマツノエンシンリョクの率いてきた3000の兵は全員が投降し、ヒヨシマル軍団は、

8000人の兵と伊賀一国をロッカクノジョウテイとアカマツノエンシンリョクの二人の将を討つのみで手に入れた。

一方、和泉との故郷近くの紀伊の和歌山で退陣するミノノハンベエ軍とナンボクチョウタカウジ軍。

5000人将のサカイノコニシがミノノハンベエの調略により内応。

内応したサカイノコニシ隊5000が上げた火の手が戦いの狼煙となる。

1万1000対1万7000であったはずの戦が、

1万6000対1万2000と兵力差が逆転!

この状況を作り出すことが、軍師ミノノハンベエの知略と手腕です!

和歌山の戦いの結果は、ミノノハンベエ軍 死者56名、負傷者542名、損傷率3.7%、

ナンボクチョウタカウジ軍 死者1199名、負傷者6382名、損傷率63.2%と

ナンボクチョウタカウジ軍に壊滅的な打撃を与えた。

ヒヨシマルの二人の軍師ミノノハンベエとヒメジノカンベエ。

この二人の活躍により、ヒヨシマル軍団は、伊賀を攻略し、

さらに、ナンボクチョウタカウジ軍団に大打撃を与えました。

ヒヨシマルは伊賀の上野砦を要塞に改造し、弟のコイチロウを守将に入れました。

これにより、ヒヨシマル軍団は、

伊勢・志摩・伊賀(三重県)、紀伊(和歌山県)の4カ国を領有し、

その兵力も2万8000に膨れ上がります。

神武東征編の第1ターン終了。現在のところは、神武軍が優勢か?

しかし、大和軍も、このまま終わることは無いはず・・・

果たして、第2ターンはどうなっていくのか?