こんにちは。
アレテーを求めて~
今日もトコトコ( ・ω・)
弁護士の岡本卓大です。
憲法について、より深く知りたい人のための、
『補講』より深く憲法を知りたい人へ
のお時間です( ・ω・)
さて、『宇宙一わかりやすい僕らの憲法のお話( ・ω・)』
で、『信教の自由』について、書きました。
この中で『政教分離』の話が出てきました。
そこで、今回は、この『政教分離』について、より深掘りしてみましょう。
参考文献は、長谷部恭男教授の「憲法」(新世社)によります( ・ω・)
信教の自由が保障されて、さまざまな宗派の活動の寛容が認められる社会においても、
政治と宗教のあり方は様々です。
例えば、イギリスでは、国教会が存在し、国王がその首長とされています。
イタリアやドイツのように、主要な教会と国家の独立を認めつつ、両者の相互関係を処理する
ための政教条約が締結されているような国もあります。
そして、アメリカやフランスを典型とする政教分離を定める国があります。
現在の日本は、アメリカやフランスと同じ政教分離を取る型の国ということになります。
なお、戦前の大日本帝国憲法下では、天皇は、まさに国家神道の中心だったので、
現在のイギリスと似たタイプだったということになるでしょうか?
戦前の日本が他の宗派に寛容であったかどうかは別として・・・
さて、いずれにせよ、現在の日本国憲法は、政教分離の原則を取っています。
この政教分離を支える論拠には、いくつかのものが考えられます。
そして、どのような考え方を取るかによって、宗教と国家の厳格な分離が必要か、
あるいは宗教に対する政府の便宜供与が許容され、ときにはむしろ要請されるかに
ついての結論が導かれることになると考えられます。
そして、いずれの立場をとるかは、宗教や政治に関する基本的な考え方の違いにもよりますが、
現在の日本の憲法状況において、宗教と政治の実態をどのように捉えるかにも依存するものと
思われます。
それでは、典型的な三つの立場を見てみましょう。
①共和主義
一つ目の立場は、宗教を基本的に非合理的なものとして否定的に捉え、
理性的な討議と決定の場としての政治の領域から可能な限り排除すべきだと
いう共和主義の立場です。
この立場からすると、宗教と政治との結びつきは、
理性的であるべき政治を宗教が汚染するがゆえに、
両者は厳格に分離されなければならないことになります。
②政治的多元主義
二つ目の立場は、政治の領域はかならずしも理性的な討議と決定の場ではなく、
多種多様な利益や目的を追求する人々が自由に競争し、
ときには妥協をはかりながら、それぞれの利益や目的の実現をはかる場
であるという政治的多元主義の見方です。
この見方からすれば、宗教にも多様な利益や目的の一種としてその役割が認められることになり、
政治権力と宗教との結びつきが禁じられるのは、特定の宗派が権力を独占することで、
他の宗派や非宗教的な利益集団の活動が抑圧され、あるいは政治的対立が宗教的情熱との融合
により激化することで、健全な政治過程が歪められるような行き過ぎによる弊害があるから
だということになります。
政治過程の健全な運営を害さない程度の宗教団体への便宜供与(税の減免や法人格の付与等)
は許容されることになるでしょうし、政治過程へ十分に代表されえない少数派の信教の自由
を保護する措置はむしろ積極的に要請されることになるでしょう。
③宗教=公益
三つ目の立場は、宗教を、慈善事業の推進や公民としての道徳の涵養を通じて積極的に
公益に資するものとして捉えます。
この立場からは、政治と宗教が分離されるべきなのは、健全な宗教が政治権力によって
腐敗・堕落しないようにするためということになります。
そのため、このような懸念が妥当しない場面では、社会一般の利益となる宗教への
国家からの便宜供与はむしろ望ましいこととなります。
また政府はかならずしも宗教一般と非宗教ないし無宗教とを公平に扱う必要はなく、
単に「特定の宗教」の抑圧または助長のみを禁じられていると解する余地も生じます。
さて、以上のような3つの立場のうち、日本という国の政治と宗教の関係は、
どう考えるべきでしょうか?
ここからは、完全に私の私見です。
私は、現実の日本社会は、②の政治的多元主義から、政教分離規定を置いているのかなと
考えています。
①の共和主義の立場を厳格に考えると、それは政教分離というよりは、
宗教という存在の否定をしているように感じます。
宗教団体が政党の応援をすることも、宗教法人が免税措置を受けることも、
宗教団体に法人格を与えることすらも、憲法違反ということになりかねず、
現実の日本社会の実情と、あまりにも乖離しすぎているように思います。
また、③の宗教=公益と考える立場は、
逆に、「宗教を信じない個人」を道徳的に劣る者、公益にそぐわない者と
評価を下しかねない危険を感じます。
「宗教を信じない自由」ということも、「信教の自由」の一環として、
個人の尊厳の核心的部分として尊重されなければならないと思います。
結果的に、②の政治的多元主義が、個人の尊厳を重視し、
また多様な価値観を認めるものとして支持しうるように思います。
もっとも、私個人は、民主主義社会においては、宗教団体の政治活動は、
正常な民主主義を歪める危険があるという①の共和主義的な視点も持っています。
選挙の際に、政策の内容ではなく、
どこの宗教団体が支持しているから投票する。
それが小規模なものであれば、さほど気にする必要もありませんが、
大規模で政権を左右するようなものになってくると、
民主主義という観点から、それで良いのか、疑問が出てきます。
まあ、この辺は、一人ひとりの有権者がしっかりと賢くなって、
自律的な判断ができるように成長していくことが大切なんでしょうね( ・ω・)
みなさん、どう思われますか?
読んでくださり、ありがとうございました。