前回までのお話は、こちら。

 

 

2004年秋 司法試験に合格した。

母校の白鴎大学では、初の司法試験合格者

(最終的には、旧司法試験唯一の合格者となった。)

 

 

白鴎大学では、入学した西暦の下二桁をとって学籍番号がついていたが、

僕は、1996年入学の96年度生。

白鴎大学法学部としては、10期生にあたる。

ちなみに、僕の妻は、同じ白鴎大学法学部の一つ下の学年97年度生だった( ・ω・)

 

 

 

白鴎大学法学部96年度生は、

外務省に入った人、司法書士試験に合格した人(2名)もいる

白鴎大学伝説の学年だったが、その中でも、司法試験合格は喜ばれた。

お世話になった先生方に、囲まれて食事会もしていただいたし、

ちょうど法科大学院の校舎(駅東キャンパス)ができるときで、

当時の学長(今では故人)や大学事務局の人たちと一緒に

ヘルメットをかぶって、新校舎の内装を見せてもらったりした。

 

司法試験に合格した後、

弁護士、検事、裁判官になるには、

司法修習を受ける必要がある。

 

今は、修習期間も全部で1年くらいと短くなったが、

僕が修習をした当時は、1年6ヶ月の修習だった。

現在は、かなり短縮されてしまっているが、

当時は、

3ヶ月間の前期修習。

3ヶ月間の弁護修習。

3ヶ月間の検察修習。

3ヶ月間の民裁修習。

3ヶ月間の刑裁修習。

3ヶ月間の後期修習。

を終えて、最後に通称 「2回試験」 と呼ばれる、

正式名称 「考試」 に合格すれば(落ちなければ)

「法曹」資格を得られる。

 

そのうち、裁判所に採用された人が裁判官

検察庁に採用された人が検事

弁護士会に入会した人が弁護士

に、それぞれなっていく。

一番多いのは、もちろん、弁護士だ( ・ω・)

 

司法試験に合格し、司法修習を受けようとする者は、

弁護士、検察庁、裁判所(民事、刑事)の実務修習を受けるための

希望地を入所申込書(だったかな?)に記入して、

実務修習をどこの県で受けたいか希望を出すことができる。

必ずしも希望通りにはならないこともある。

 

9つくらい希望を書くことができるのだが、

僕は、第一希望に 「埼玉」 と書いた。

別に、埼玉に縁もゆかりも無かったが、

司法研修所のある和光市が埼玉県だったのと、

なんとなく東京は嫌だったという、ただ、それだけの理由。

 

希望どおり、「さいたま修習」に決まり、2005年3月、

初めて埼玉県(当初は、さいたま市の武蔵浦和近く。)に

家賃4万ちょいのアパートを借りて、埼玉県民となった。

なお、以降、ずっと埼玉県民だぞ( ・ω・)

 

ちなみに、当時は、司法修習生は、給費制の時代で、

だいたい国家公務員の初任給くらいの給料を、もらうことができた。

きちんと、国がお金を出して法曹を育てるという

本来あるべき時代だった。

(その後、給費制が廃止され、一時期は、修習生が借金しなければ

ならない貸与制の時代があったこと等は、機会があれば書きたいと

思います。)

 

2005年4月。

和光の司法研修所で、

当時の研修所所長が、開始式で最初に話した言葉を僕は覚えている。

 

みなさんは、頭脳に恵まれ、

大変な努力をし、

そして、

大きな「運」に恵まれて、

今、この場にいます。

 

ですよね~(^_^;)

 

僕たち59期司法修習生は、

前期修習の時点で、ぴったり1500人。

司法試験合格者より少し多いのは、

大学在学中に合格して卒業後に来た人や、

合格後、仕事や諸々で、

すぐには修習しなかった人もいるからだ。

 

司法研修所での前期修習、後期修習では、

75人ずつのクラスが20組あって、

僕は、「20組」だった。

 

同じ20組に、大学3年生のときに合格して卒業してから来た人や、

東大在学中に合格した人もいたから、成績順のクラス分けでは

無かったのだろうと思う( ・ω・)

 

年齢層は、20代前半も数人いたし、40代以上の人も珍しくはなかった。

一番多かったのは、30歳前後だったのかな?

 

司法研修所のクラスには、

民裁(民事裁判)教官

刑裁(刑事裁判)教官

検察(検事)教官

民弁(民事弁護)教官

刑弁(刑事弁護)教官

の5人の教官がそれぞれ担当してくださる。

 

どの方も、非常に魅力的な方だったと思う。

やっぱ、各組織のリクルート兼ねてるからかな( ・ω・)

 

特に、検察教官は、女性検事の非常に魅力的な方で、

僕は、一時は、「検事もいいかな」と考えたこともあった。

 

前期修習や後期修習は、もちろん、講義もあるが、

起案

といって、現実の事件記録等を元に司法研修所が作った

事件の書面を作成する時間が多かった。

今はどうだか知らないが、当時の起案は、すべて、手書きでした( ・ω・)

 

今は、たぶん、無くなってるだろうが、

当時は、前期修習のときに、

「健康管理」

と称するスポーツ大会があったり、

もちろん、自費だけども、クラスで旅行したりと、

いろいろ楽しかった。

 

前期修習の3ヶ月を終えると、

それぞれ、全国各地の実務修習地での実務修習が始まる。

 

ちなみに、司法修習生には、「休暇」は無い。

司法修習生たる者、常に、修習生として研鑽に励めということだ。

なので、一般にいうお休みは、「自由研究日」という名称だった( ・ω・)

 

僕は、自由研究日は、TSUTAYAで借りたDVDを観て

「銀河英雄伝説」や「鋼の錬金術師」等を研究してました(ーー;)

 

 

さいたま修習は、1班12人ずつの4班で、48人。

当時は、全員での開始式が裁判所であって、

その後、各修習の開始式があった。

 

修習の3ヶ月ずつをクールと呼んで、

班ごとに、どの修習をするか違う。

僕のいた2班は、

第1クール 弁護

第2クール 民裁

第3クール 検察

第4クール 刑裁

の順だった。

 

「弁護修習」は、弁護士会で開始式をして、

それから、各指導担当の弁護士の事務所に行く。

僕の指導担当は、昨年亡くなられた城口順二先生だった。

城口先生は、埼玉弁護士会会長を経験されていたのはもちろん、

中坊公平会長時代の日弁連副会長もされた方だった。

 

弁護修習二日目。

指導担当の城口先生に連れられ、東京地検地下の接見室で、

初めて刑事被疑者との接見に同行。

その後、その足で、東京地検の検事に会いに行く。

被疑者を勾留しないように、説得するためだ。

実務修習が始まってすぐに見せつけられた刑事弁護人としての弁護士の姿。

たぶん、ここが、僕が刑事弁護人になっていく最初のきっかけだったのだろうな。

 

普通は、弁護修習というのは、指導担当の弁護士にお酒を飲みに連れて行ってもらうことが

多いそうだが、僕は、城口先生と飲んだのは、3ヶ月の修習中で3回だったと記憶している。

 

接見の後に、「ちょっと飲むか」と誘ってもらって1回。

城口先生のゴルフ仲間の人たちとの集まりに混ぜてもらって1回。

そして、修習最終日に、事務所の人みんなで送別会的にやっていただいた1回。

事務員の人たちも一緒にランチを食べたのは、けっこう多かったように思う。

 

とにかく、弁護士って忙しいんだなというのが、

弁護修習の率直な感想だった。

 

 

第2クールは、「民裁修習」

民裁修習は、裁判所の各民事部に修習生が別れて配属される。

いろんな弁護士が書いた書面を読めるし、

いろんな弁護士の法廷活動を裁判官の隣で見ることができた。

すごく説得力のある主張をする弁護士もいれば、

何を言ってるのかまったくわからない弁護士もいた。

現実の事件での弁護士の主張を、

「要件事実」といって、法律の要件に当てはまるように整理したり、

民事の判決を起案してみたり、

(裁判官は講評してくださるが、現実の

裁判には使わない。)

裁判官の仕事を学びつつ、実は、いろんな弁護士の活動を見ることができるのが、

民裁修習だったように思う。

 

第3クールは、「検察修習」

検察修習は、同じ班の12人が同じ修習生室で一緒に過ごす。

指導検事は、一人。

その補佐の事務官さんが一人。

 

修習生二人がペアで、

実際に被疑者の「取調べ」をする。

取り調べをして、供述調書を作成し、

指導担当検事が読み聞かせをして、実際に裁判でも使われる調書を作る。

この経験は、間違いなく、司法修習生しかできない経験だ。

 

その他、警察官のパトカーに同乗させてもらって、

現実にパトロールに同行したり、他ではできない経験をさせていただいた。


 

第4クールは、「刑裁修習」

さいたま地裁の刑事部の裁判官室で、

現実の刑事事件記録を読んだり、

裁判を傍聴したり、

練習に判決を書いてみたり

(裁判官に講評していただけるが、実際の事件にはもちろん使われない。)

刑事事件での裁判官の仕事を3ヶ月間、学ぶ。

 

ちなみに、僕は、刑裁修習のときは、お昼休みを重視していた。

他の修習生は、外にお昼を食べに行っていたが、

僕は、毎日、92円のコッペパンを食べながら、お昼休みも裁判官室にいた。

 

裁判官たちがお昼を食べながら、事件について話し合っているのだ。

もちろん、正式な「合議」ではないのだろうけど、

裁判官の証拠の見方、事実認定の検討の仕方というのは、

こういうものなのかと、コッペパンを食べながら、ずっと聴いていた。

これは、実務修習中の司法修習生しか絶対に経験できない

と、今でも思う( ・ω・)

 

 

以上のような1年間の実務修習を終えて、最後は、再び司法研修所に

集まっての後期修習。

後期修習になると、現実の弁護士、検事、裁判官の実務を見てきた後で、

二回試験に向けての準備といった感じだったろうか。

ひたすら、課題について、起案を書きまくる。

優秀な人の模範答案のコピーが出回ったりするのは、

なんか学校みたいだ(笑)

 

そして、2006年10月。

無事に、2回試験に落ちることなく、

法曹資格を得ることができた。

 

司法修習生は、法曹の卵の期間。

ここからが、いよいよ、弁護士人生の始まりだ( ・ω・)

 

(次回に続く。)