時には昔の話を | オカミのナカミ

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気の利いたぽんこつです。メルシー。

久しぶりにご近所の長老に呼び出された。
何事かと指定された場所に行くと
「おもしろいことが起きたんだよ」
と嬉しそうに持っていたファイルを開いた。



そこには彼が町内会の役員をしていた頃、自宅ポストに投函された無記名の投書がスクラップされているのを私は知っている。
確か、私が当時企画した案件に対する抗議文が3枚、長老の人格を誹謗中傷した投書の3枚が貼ってあったはずだ。
投書は手書きで、老害、下品、独裁者、酒癖の悪い賎民などと書き並べてあったものが2枚。

パソコンでプリントアウトしたものが1枚だったように記憶している。

果たしてその記憶の通り、投書はそのファイルに貼ってあった。

特にパソコンで書いた1枚は、キーボードを叩くという気軽さもあったのか、かなり饒舌な内容になっており、久しぶりに読むと「もう貴殿の時代ではない、引っ込め助平爺い」で締められていた。

スケベも漢字にすると助六の趣さえ漂うことに少し吹いた。

成田屋と成田離婚くらいの差があるが。

 

 

長老はこの投書を何回も読んだという。

読むうちに気づいたそうだ。これはかなり自分に近しい人間が書いていると。
私も読んだ。
その通りだと思った。
少なくとも町内行事に全く関わりのない人が書ける投書ではない。
長老はその時ポツリと言った。
3人のこの投書主は探せばわかるかもしれないねと。





あれから10年。

新婚時代はいわなくてもコーヒーを淹れてくれていた妻が、コーヒーをくれというと140円くれるようになる頃。
私を呼び出した彼はこう言ったのだ。


「3人が全員わかったよ」


驚いた。
本当に探していたのだ。
いったいどうやって?と尋ねると彼は笑ってこう言った。

 


「簡単なことさね。私の近所で町内会にそれなりに関わっている人物たちの筆跡を集めたのだよ」


長老には新聞や雑誌、手紙やメモをスクラップする習慣が以前からあった。普段から几帳面でマメな彼のことだ。ご近所の方が書いたメモや付箋を収集し、スクラップブックに貼り付けていったらしい。時には耄碌したふりをして意図的に書かせたこともあるという。


ご近所さんの筆跡コレクションを始めて4年目と6年目。

長老は手書き2枚の投書主を特定したそうだ。

彼らしく、特定した日付を赤字で記入してある。
見せてもらった投書のいくつかの文字と、彼の集めたメモの字を重ねて陽に透かすと、笑えるほどに一致した。

人というのは筆記用具や紙材が変わっても、これほど同じ字を書くのだと妙なところで感心した。


3人目のパソコンで書かれた文書はどうやって同定したんですかと尋ねると、長老は笑った。


「それがね。君のおかげなんだよ。君はこないだ町内行事で写真を撮って、希望者に現像してあげたんだろう。それにいたく感激した人物がいるんだよ。その人物は手作りの栞に手紙を添えて「私は彼女と面識がないから、どうかあなたから感謝の気持ちを言伝ててほしい」と、私のところに持ってきたんだ」



そういえばそんなことをした。
私は普段から町内の行事があるたびにしょっちゅう写真を撮っている。
確かに現像したが、代表の方にまとめて渡したので誰にその写真が渡ったのかはまるで知らなかった。


長老は続ける。


「私はその時、違和感を覚えてね。なぜこの人は私と君が懇意であることを知っているんだろうと思ったんだ。君も彼を知らないだろう?しかも私は役員を退いて何年も経つんだ。それこそ写真の礼がしたいなら、取りまとめをしたA君に頼むのが普通じゃないかね?だが彼はこう言うんだよ。彼女はあなたにとても懐いていたでしょう?彼女に礼を伝えるならあなたに頼むのがいちばん早道だと思いましてねと。まあ、わからん理屈でもない。それで私は預かったんだよ。その手紙と栞が入った封筒をね。そしてひとつ告白するがね。ここで私は卑怯なことをした。封をしていなかったのをいいことに、彼が去った後、君宛の封筒の中を覗いたんだよ。これは事実だ。軽蔑してくれていい」


ああ、そうなんですねと相槌を打つ私。
こうやって非を自分から先に公開し、開き直って軽く許しを乞うのもこの長老の常套手段だ。

彼は続けた。


「パソコンで書いた手紙が入っていたよ。取り出して眺めて驚いた。暗唱できるほど読んだ、助平爺いの投書と同じ縦書き、同じ字体なんだよその手紙。さっき君が読んだあの投書さね」


長老は私宛の手紙と10年前の投書を並べてみせた。


「これを見なさい。何より読点の位置に特徴があるだろう?」


それはまさに同一人物が書いたとしか思えない2枚だった。

内容こそ違えども、文章のリズム、読点の多用とその位置。
左様な、目出度い、如何ような、等の変換の癖。

そして一般的にはあまり使われない少し変わったフォント。


長老はニヤッと私を見やる。



「神様は粋なことをするもんだよ。君への感謝の手紙で私にバレるなんてねえ」



この長老の執念に呆れる人もいるかもしれない。

ご近所の筆跡を集めたり、手紙を覗いたり、決して褒められた行動ではない。
でもその気持ちは痛いほどわかる。
無記名の投書は、卑劣な暴力だ。
気に入らない、いけすかないというだけで、自分には全く実害も関係もない案件に口を出す。

匿名という鎧で完全武装し、安っぽい正義と道徳を振りかざして100%安全な場所から無防備な対象に毒矢を射るようないやらしい行為だ
読んだ時の鼓動が早くなり、こめかみが痛み、目の奥がツンとするあの感じ。
誰に怒りを向けていいのか文字通りわからない憤り。

周りの人全員に悪意があるように思え、身体が強張るあの恐怖。
1通でもそうなるのだ。
6通も投函された長老の当時の心労たるや。
しかもそのうちの3通は、私の企画がなければなかった抗議なのだ。


長老はその3人の名前を教えてくれた。
面識がある方もあり、ない方もいた。
面識のある方に関しては、投書をするような人物にはとても見えないとだけ記したい。
ただ、写真のお礼に手作りの栞を作ってくるような方が、引っ込め助平爺いという投書をするという事実は、嫌味ではなく、いかにも人間らしい不可解さというか人間くささを感じさせ、人はどこまでも理屈では説明できない矛盾を抱えているものだなあと、一抹の味わい深ささえあった。


私は長老に尋ねた。
「この3人の方に何かおっしゃるおつもりです?」



「とんでもない。今更何も言ったりはせんよ。ただこの3人と会うたびに、少々愉快な気持ちになるのは事実だねえ。彼らは私がまさか知っているとは思ってもないだろう?そして今は何事もなかったようにスーパーで会えば軽口を叩き、おはよう、今日も寒いですねなどと声をかけてくるんだよ。私はそんなとき、やはり同じように軽口を言い、笑顔で挨拶するんだな。だがたまにその人の目をじっと見つめてみたりしてな。気持ち悪がられたりしているよ。どうかね。やはり私は性格が悪いだろう?」


彼はご機嫌だ。
そして続ける。


「私の中で閉まっておいてもよかったんだがね。君のおかげで特定できたことでもあるし、君は町内のお世話ごとをまだしているから、この3人と関わることもあるかもしれない。だから知らせておこうと思ったんだよ・・・と言うのは建前でな。まあ、つまるところ君は私と同じで…」


私は思わず口を開いてこう言った。

 



「性格が悪いから、ですよね?」



長老は破顔した。

 

 


「そういうことだ」



この話にはなんの教訓もない。

ただ私と長老をたいそう愉快にさせ、少し悲しくさせたくらいのことである。

清濁併せ吞んだ含蓄のある大人のありようで締めたいところだが、この3人に対する私の本音はこうだ。

 

 

 

 

「豆腐の角に頭をぶつけて死ね」

 

 

 

 

 


(※この話はフィクションです)

 

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