体調不良で考えた | ヨメトメ戦記

ヨメトメ戦記

2014年10月アルツと診断されて以来、独居を貫いたシュートメと、トメ嫌いな鬼嫁の毒吐き記録。約10年踏ん張ったが、2023年12月頃から急激に進行、ついに2024年6月認知症専門病棟に医療保護入院となる(現在入院中)

鬼嫁の霍乱、って訳でもないけれど、久々にダウンした。

公私ともに少々過密スケジュールだったこともあるが、

基本的に「楽しい」と思えることだらけだったので、

少々張り切りすぎたツケだと思われる。

アラ還の身に、もう無理は効かないことなど重々承知の助なのに、

走りだすと止まらなくなるB型の血、自業自得だな。

 

熱発は幸いにもひと晩だけだったし、食欲も落ちなかった。

ただ、どうにもこうにも喉が痛くて、ろくに食べられないのがいと辛し。

うどん、おかゆ、プリンにゼリーで腹を満たす日々が続いた。

「すぐに治るだろう」と高を括っていたのに、気づけば5日経過。

食べたいのに食べられないストレスって、ナニゲに影響が大きくて

身体にも力が入らないし、なんとなく疲れやすい。

 

我ながらビックリなのが、5日もノンアル生活だということ。

「缶ビールだけで終わる日は休肝日扱い」を豪語してきた私が、

なんと、缶ビールの一本も飲んでいない。

ノンアルビールならいいんじゃね?! と試したら、

ぐびっといった瞬間、喉に激痛が走って後悔しきり。

いまはもう、だいぶ回復したので、今夜あたりからちょびっとだけ

ぬる燗でも舐めてみようと思っている。

 

さて、そんなこんなで不調の真っ最中だった先日、

小規模から連絡が入った。

こんな具合の悪い時に一体なんの用件だってんだ?と

コール音にもしかめ面で、文句のひとつもいいたくなる。

やや不機嫌になりつつ電話に出ると、

「あの、お預かりしている薬、月末で無くなるんですが・・」

 

あ!!! やっちまった!!!

薬を届けなくてはならかったのに、すっかり失念していたのだ。

月末が近づいたら、翌月分を届けがてらトメの様子を直接聞いたり

必要な着替えなどがあれば届けたりするのがルーチンだったのに、

まるで頭から抜け落ちてしまっていた。

自分でもショック。

たかがひと晩、熱が出たくらいで、ほんの数日、喉が痛かったくらいで。

あぁ情けなかですばい。。

 

実は、私から遅れること3日で夫も体調を崩していた。

健康だったら、なんの迷いもなく

「ごめん、お願い、届けてきて」で済むのだが、そうもいかず

二人で一人分の働き(運転を交代とか)をして

電話をもらった翌日にはクスリを届けることができたんだけど、

ふと、どちらもダウンしていたら? と考えてしまった。

 

実際には、いざとなれば宅配便を利用するとか、

代理のだれかに頼みこむとか方法があるとは思う。

だけど、もしもの時に動ける人間て、我が家にはあまりいない。

我が家には子どもがいないし、夫には兄妹もいないし、

親族関係はトショリだらけだしね。

 

私たちも今はまだいい。

でも、風邪くらいならともかく、もっと長引くような病気だったら?

何か月も身動きが取れないようなケガでもしたら?

この先、歳を重ねれば重ねるほどに、不調の確立は上がるのに

夫と私以外にトメのあれこれを担当できる人はいないのだ。

今回の久々の体調不良で、そういう現実をあらためて感じてしまった。

 

かの昔、トメに言われたことがある。

「いつも悪いねえ、老々介護させて」。

あの時は、「誰に向かって老々介護って言っとるんじゃ~~!!」

なんて激怒しちゃったけれど

いつの間にか「老老介護」が笑えない年齢になってきたんだなあ。

 

やはり入所だ。

とにかく入所だ。

なにはなくても入所だ。

「難しいと思いますよ」と言い放った所長さんよ、

私たちは断固として入所に向けて動きますからネッ!!!!!

 

 

たくさんホヤをいただいたので、蒸しホヤに。

いくらでも食べられちゃう~。

ビタミン、ミネラル、プラズマローゲンたっぷりんこで元気チャージ。