回想 | まいにちほのぼの生活

まいにちほのぼの生活

子育て、口唇口蓋裂、パニック障害、そのほかつれづれ日記


なんだかんだと、仙台の母が食料を送ってくれます。普段は決して仲良いとは言えないわたくしも、果たして、自分の子供に同じようなことができるだろうか。

そう思います。
感謝しなくてはならないですね。


母は岩手県遠野市上郷町の農家に生まれました。
隣の家まですごく距離があり、祖母が存命のときは、トイレがまだ外にあったもので、

縁側に熊が座っとった。
なんてこともしばしば。


夜のトイレがすごく怖くて、怖くて、
嫌だったのを覚えています。

朝早くから母の両親は畑仕事に。
母は弁当をこしらえて学校へ通ったそうです。
だから、コメさえあればどーにかなる!
は母の伝えです。

祖父が元気な頃、田んぼは貸すほどあり、お米はいつも田舎のお米を頂戴しておりました。

香りを嗅ぐと、祖父母の香りに感じたものです。

わたくしもいろんな手伝いをしたものです。
ピーマンの収穫をすればドジな姉がハサミで指を切ったり、枝豆は仕分けがものすごく大変でした。でも、特級で築地に出していました。
わたくしたちは、一粒豆は出荷しませんので、それを庭のドラム缶に薪を焚いて鍋で煮て、腹がはち切れるほど食べたものです。

とうもろこしも然り。

田舎暮らしに憧れていました。

しかし、ここは、東京。
品川区。隣との距離はせいぜい50センチ!
便利だが、ここ最近は、引っ越したくなりました。

主人の文筆業がフリーでもやっていけたら、
きっと引っ越したいと思います。

多摩か、神奈川か。

山北町の畑を長いこと続けていましたが、
メンバーの足並みが揃わなくなったこともあり、
わたくしたちは休止しています。

山北の生活はほんとうに時が穏やかで、
たまに行くと、忘れていた感覚を思い出したり。
ほっとするまちです。

品川に帰ると、まあ我が家なので落ち着きますが、なんとなく社会戦争に戻った気がしていて、神経をつかいますね。


わたくしだけでも移住したろかっ。
なんて思います。


母の送ってくれた魚を料理して、平日の昼ごはんのおかずにしました。



マカロンは相変わらずべったりで。
腹ぶとんを活用しています。

おトイレに行きたい時が問題です。


仲良しげんき、マカロン。
お散歩に連れ出すと、マカロンはげんきの歩調に合わせるのはなんでだろうと、じぃーっと
見てしまいます。

にいたん待ってー!なのかなぁ。

三頭とも、別々の時期に引き取りました。
ラッキーは東京。
げんきは磐田。
マカロンも磐田。
げんきとマカロンは同じ団体さんから引き取りました。マカロンを引き取る時は、ありがたいことに、我が家ならと太鼓判をいただきまして。

彼女が初めて目にする外の世界に彼女が首を伸ばして車の中からみていたのを覚えています。

散歩をしていると、道行く人たちは兄弟が親子に見えるらしく。
毎回毎回聞かれますが、事実をお話しすると
驚かれます。(笑)




光合成する季節になりました。

このところの落ち着きぶりには感心しております。(笑)


毎日ポーズを決めてくれます。
このところ、芥川龍之介風が多いです。


昭和大、口唇口蓋裂外来等に行きましたのでまたかきますね。

彼は、流行前に歯科等々済ませておきました。
耳のチューブが詰まりませんように。


どんな日曜でしたか?
わたくしはあんまり良い日曜日ではありませんでした。

離婚記念日にしたい感じ?
人生いろいろ。
自分が大好きすぎる夫は、全く他人に共感することがないので、
わたくしは、かなり苦しんでおります。
昨夜、右腕を肩から捻りあげられまして、
右手が使えないです。

先週は顎を殴られまして、顎がずれました。

ほんとうは辛いけど、
見えないことにしています。

見えない私には見えない。

そうしているうちに、
悪かったと思うらしく、
ごまをする。

しかし、そんなことする人ではないから、
何かが狂って、1.8リットルの炭酸水を誤って落としました。

私の右足の指に。 


多分、折れました…( ̄▽ ̄;)



頑張っって自分を保とう。