こんにちは。
今日のくぅちゃん
体重 91.3g
昨日の飲水量は 6.4g
昨日の食事量 8.2g
減らない体重に悩む飼い主
いや、いざとなったらちょっと外出すればくぅちゃんは瘦せるんだけど…。
そんな痩せ方させたくない。
地味にねんね前の「小腹が空いたのよー!」の追加要求に、飼い主がどう応えていくかの耐久レースですね。
本日は2018年に、ナガサ―キのリートゥからヒョウゴ―に移動したときの話を書こうと思います。インコを連れての長距離移動の場合、どう乗り換えを少なくするか、いかに移動時間を短くするかで悩むところだと思います。
リートゥを脱出するにも、私の愛車問題がありましてね
。
探せばどこかの業者がリトーゥからヒョウゴ―まで運んでくれたのかもしれませんが、この時は見つけられませんでした。
なので、フクオーカからヒョウゴ―までの業者を手配。
個人的には、移動時間が短く、できれば一日で!がベストだと思います。
以前の転勤はつらいよシリーズで書いた通り、着の身着のままで出てきた私。
このナガサ―キのリートゥからヒョウゴ―まで戻るには、なかなかに難しいルートです。
本土からの自走はもう体力的に無理。
当時の私の身体はボロボロで、下半身の感覚が思うように無かった…。
排尿がコントローズ出来ずに介護おむつを履いてた状態
①リートゥ→フクオーカの博多港→博多駅で新幹線→新大阪から友達の車
総移動時間は約10時間
博多港~福岡駅まではタクシーであっという間。
フェリーのペットスペースに電源があることを確認済み。
②リートゥ→ナガサ―キ港→電車→博多駅から新幹線→新大阪から友達の車
総移動時間は約10時間半
福岡駅まで結局6時間、フェリーは2回乗り換え電車も3回乗り換えと乗り換えがすさまじく多い。何せ乗れるフェリーが限られる。
③リートゥ→サセーボ港→佐世保駅で電車→博多駅新幹線→新大阪から友達の車
総移動時間10時間半
車は持っていけるが、佐世保は行ったことが無くて不安
私は①を選択したのだけど、これがね…盲点だったのですよ。
昼に出航するフェリーしかないのです、なので私は旅館を出て約30分車でフェリー発着の港へ移動。
くぅちゃんはキャリーに入ってもらい、ケージは車に積みました。
その後私はフェリーで6時間。この6時間が長いんです。
貨物室でちゃっかり電源確保してたんで、くぅちゃんは寒くはないんですよね。
ただ、人が座るスペースは無いので、床に座るほかなし。尻は痛いし床が冷たい。
くぅちゃんが心配でず~っとペット用貨物室に居たら、船員さんが点検に来て、ドアを開けて「ギャー!」っとなったり…スミマセン。普通人間ははそこに居ませんよね
。
私はくぅちゃんの体力が心配だったので(今思えば自分の体力の方がヤバいのだが
)フクオーカで一泊したかった。しかし、くぅちゃんと一緒に泊まれる宿が無い…。
なので18時頃に福岡港に着いたら、糸島市まで約一時間車で走り、予約してた一軒家のペットと泊まれる宿へ。
この日、私は風呂にも入らず寝た…。季節は1月。寒くて寒くて、しんどいけど、宿のオーナーが電気代云々の話で18度以上にしないでくれというのである。エアコン使わずに寝た記憶がある。
(くぅちゃんにはしっかりヒーター使わせてもらった)
翌朝、ケージをたたんで車に積みこみ、くぅちゃんはキャリーに入ってもらい、車で博多へ向かう。
博多の温泉(銭湯かな?)の駐車場で車を輸送業者に引き渡す。
ここの銭湯の人が本当に優しくて、くぅちゃんのキャリーを店内に入れてくれたので、慌ててお風呂に入った(駐車場を使わせていただいたお礼には、土産を買うだけで済まそうと思ってた
)
着替えの入ったボストンバッグとくぅちゃんのキャリーを持って博多駅までタクシーで行き、そこから新幹線で新大阪まで行った。新幹線
の窓側にはコンセントがあるので、ちゃっかり使わせて頂いた。
くぅちゃんはしっかり寝たい派なので、一泊したのは正解だったともう。
新幹線の中で結構食べていた
新大阪にいくと友達が待っててくれた。
ヒョウゴ―で出会った友達には心から感謝をしている。たとえその後、縁が切れてしまっても。ここでの人間関係に関しては、そのうち書こうと思う。
今ここで言えるのは、その後関係が崩れたとしても、私はこの時の友達のやさしさを忘れてはいない。彼女たちがいなかったら今の私もくぅちゃんもいなかったかもしれない。
くぅちゃんのケージは、事前に友達の家に送っていたので(くぅちゃんは常に別荘を数か所に持っている)新大阪→友達の家→新居のアパートといった具合で移動途中でくぅちゃんのケージを回収した。
友達のありがたさを思い知る。くぅちゃんのストレスを最小限に抑えるには、キャリーに入ってる時間を減らすこと。
やっぱりキャリーは相当なストレスなんだろうな…。
友達がくぅちゃんの別荘(ケージだけど)を組み立てててくれたので、くうちゃんはすぐに友達の家でキャリーからケージに移動した。
この時の新大阪に着いてからの記憶が実は曖昧なのだけど、一人で宿や車の輸送業者を確保して、なんとか無事にヒョウゴ―に戻ってきた安堵感でもう感無量だったことは鮮明に覚えている
。
次回はワタクシがなぜヒョウゴ―に戻ったかについて、ちょっと書こうと思う。
ホッカイドーゥ出身のワタクシが、長年親しんだサイタマ―やトウキョーゥではなくなでヒョウゴ―に戻ったか。
それはやっぱり鳥友達がいたからなのよね。
本当に友達ってありがたいです
写真は、ヒョウゴ―に居たときのくぅちゃん。
それではみなさんごきげんよう。
次回は、鳥友達の話を紹介できたらいいな。