こんにちは。
今日のくぅちゃん
体重 90.8g
昨日の飲水量は 5.9g
昨日の食事量 9g以上
換羽で新しい羽が生えてきてるけど、いい具合に体重キープ中。
今回は2015年のサイタマ―からヒョウゴ―への500㎞オーバーの悪夢の転勤話を書きたいと思います。
思い出すだけでも恐怖が蘇る、我が家でも伝説になったこの転勤。
幸いにもマイカー🚖を持っていた我が家。
マイカーで移動することを選択。このしょっぱなの選択が最大のミスだということに後から気が付くも…正直何が正解だったか未だにわからない
異動は3月中旬。サイタマ―はかなり寒かった記憶があります。
サイタマ―からヒョウゴ―まで、Googleマップ🗾では7時間弱の行程です。
しかし我が家は社宅住まいなので、出ていくにも管理人の点検など様々な手順を踏まねばならず。
引越し前日に荷物を出す。
おトリ様たちは何もない部屋で一泊
(※この時我が家にはくぅちゃん以外にも2羽のインコがいたのです。
くぅちゃん以外は病鳥でもう助からぬ命と分かっている病状)
人間は近くのホテル🏨に一泊して、翌日に部屋の点検を受けて、インコ様たちと主人の制服一式を車に積んで行きました。
我が愛しの雛菊丸(ひなぎくまる)ちゃん、当時12歳
わけあって我が家に来たけど、片目が見えない上、腎臓に問題あり。
長生きできないと行く先先の動物病院で言われたコ。
我が人生でここまでの忠鳥はいないだろうと思われるコ。
母の形見のさくらちゃん。当時6歳
この世でこんな純粋なオカメインコは一生見つからないだろうという
人間の穢れを知らない稀有なオカメインコ。
健康診断を三か月おきにしていたのに、体重管理もしてきたのだが…なのにどうしてか糖尿病になってしまった。
母が寂しくて、あちらの世に呼んでいるとしか思えない薄幸の美人。
栗子姫ちゃん(愛称くぅちゃん)当時10歳
趣味が人間観察だったため、ありとあらゆる人間の欲望をみてしまい、現在に至る
賢すぎて怖い。最近は人間を操るレベルに達している。
この3羽を連れてのお引越し。
病鳥の2羽をルーミィ―に入れて、くぅちゃんはHOEI35のケージにビニールカバー。当時の私はカーインバーターの存在を知らないため、ホッカイロしか頼れないという状況。
ただ天気がとても良くて、車内は暑いくらいだった。
私はこの500キロオーバーの道が一日で終わるとは思えなかった。
Googleマップ🗾の信頼度がめちゃくちゃ低かったのだ
なので、ナゴヤ―あたりでどこかに泊まる作戦をかなり前から立てていた。
しかしインコを連れて泊まれる宿がはっきり言って無いのだ
私は犬がOKならインコも…と思ったけれど、電話するところ電話するところ全て断られてしまう。
結局見つかったのは岐阜県の養老の滝の近くの掬水(きくすい)という旅館である。
ここの女将さんが大変いい人で、私の話を聞くと、すぐに転勤の移動だと察してくれたのであった。
何とか宿は抑えたものの、東名高速からは随分と離れてしまう。
それでも行くしかない。病気の2羽が心配だけど、行かねばならない。
しかし、試練はそんな簡単なものではなかった。
第二の大きなミスが私たちに致命的なダメージを与える。
首都高🛣️に乗ったのが運のツキというか…首都高から抜けられず2時間くらい首都高速🛣️を彷徨う…。
結局掬水に着いたのは夜9時近く、食事時間にも間に合わず人間は夕飯を食べれなかった。
(郊外にあるため、コンビニ🏪まで行くにも車で大分かかる)
夜になると車内は急に冷え込んできて、くぅちゃんのケージの温度計が18度まで下がり、神経すり切れた記憶が今でも鮮明に残っている
病鳥2羽は25度をキープしたかったけど、日が暮れたら23度🌡️までしかキープできずにあの時ほど自分を責めたことはない。
掬水ですぐに部屋に通してもらい、ヒーターをつないで28度🌡️まで上げて、夫婦で温泉(大浴場かな?)に入った。
疲労困憊、11時間も運転した主人は布団に入ると同時に寝た。
私は寝れないのだ。病鳥たちをなだめ、何とか食事させて薬を飲ませる。病鳥ズのヒーターをチェックして28℃キープできてるか確認しなければならない。
幸い食いしん坊のくぅちゃんが居てくれて本当に良かった、くぅちゃんが食べ出すと他の2羽も少し食べてくれた。
この日の移動でみんな体重が4g~5g減った。
しかし、食べれているということに希望を見出して、気にするのはやめた。
そうしないと私のメンタルが持たない
翌日、なんと雪❄️が降った!!
カーインバーターなど持って無い私の目に映る大粒の雪
ノーマルタイヤ🛞の私のアクア。どんなにかっこよくカスタムしてようと、雪の前ではカスタムなど意味がない。
雪❄️が解けることを祈って、朝食を頂いた。早めに車にエンジンをかけて車内を温めて出発。
ドライヤーでルーミィやくぅちゃんのケージに暖かい風を送って出来るだけ温めた。
道路には雪❄️が無いことだけが救い。
高速に乗るときには雪は止んで太陽の光が差し込んできた。
この時の引越しはすぐに社宅に入れないという状態で、私たちは神戸にある第二のインコと泊まれる宿に向かった。
そこは本来ワンちゃんメインなのだけど、事情を話すと泊めてくれたのだ。
ありがたすぎて涙が出る。神戸までは天気に恵まれて夕方日が暮れる頃に無事につき、インコ様の保温やメンタルケアに徹した。
この移動では車内にちょっと出せるのは、雛菊丸とくぅちゃんだけで、さくらちゃんは出せなかった。
対向車を見るとパニックになるのだ。
この神戸のホテルで2泊させてもらい、社宅が入居可能になるまで待って、ようやく社宅にはいる。
疲労困憊、こんなにメンタルが削られる引越しは(当時)初めてである。
ところてん式の社宅の入居方式にも問題があると思う。
インコ様には大きな負担だった。大きすぎる負担だった。
引越し後1週間程度でインコ様はだいたいのペースに戻っていく。
しかし病状が末期だった雛菊丸はこの引越しの2週間後に亡くなった。
桜🌸が満開の4月2日。社宅の周りは桜🌸がたくさんあって、街灯に照らされたソメイヨシノが美しかった。
桜には常世のイメージがあるというが本当に別世界の入り口が開いたかのようだった。
そしてその夜、身体中に毒素が回り、雛菊丸は苦しんで亡くなった。
亡くなる前日、私以外にカキカキを許さない、忠鳥雛菊丸が主人にカキカキしてもらっているのを見た。
その時、私は彼が旅立つのだと悟った。
苦しくて真夜中なのに大声で叫んだ雛菊丸。彼の苦しみは私の苦しみ、一生忘れずに背負っていく。
彼の苦しみの声は「もっと生きたい」「向こうの世界にはまだ行きたくない」だったと確信している。
あれほどの忠鳥が、苦しみに耐えかねて私の手を血が出るまで齧ったのはこの時が最初で最後だった。
この引越し後、私は反省しまくった。
でも結局何が正解なのかは分からない。社宅に入れるまでサイタマ―のペットホテルに彼らを預けて、新幹線🚄で迎えに行った方が良かったのだろうか?
でも、いつ亡くなってもおかしくない状態の雛菊丸をペットホテルに置いて行けただろうか?
雛菊丸は「おいて行かれる」方が嫌だったはずだ。
私は、この引越しで彼の寿命を縮めたとおもう。でも後悔はない。
わたしと雛菊丸は離れ離れになることが一番怖かった。
この極限の状態で引越しという選択肢を迫られ、それでも最期まで一緒にいれたこと、それを幸せと思えることが、雛菊丸と私の絆である。
このブログを読んでいる人で、鳥と一緒の引越し予定がある人は、とにかく頼れる人を作って欲しい。
バードシッターズなど、何かしらのコミュニティに参加して欲しい。
鳥と泊まれる宿はほとんど無い。ペット=犬猫というのが現実。
さらに最近では鳥インフル云々で更に泊めてもらえない。
私は2015年のこの時点で鳥友達はゼロだった。
この後も私は引越し生活が続くのだが、鳥友達に救われて更なる難関を突破していくのである。
その時の話はまたいつか。
それではみなさん、ごきげんよう。
次回も何かちょっと役に立つ話を紹介できたらいいな。