YOU は SHOCKッッ!!!!! -35ページ目

函館記念

夏競馬は一切手を出さない方針だけど、今日の函館記念ちょっち気になったんで予想を。
まぁ今回もテキトーなんだけど6枠の2頭に注目。


⑪サンデードリーム
⑫メイショウレガーロ


どちらかが勝ってくれると嬉しいが…。
一切根拠は無いが、わりと自信はあるV(^0^)
まぁ気が向いたら買ってみてくれ。
ほな 乙

おかまりも世界史探究~その5

時は紀元前331年。
若き王が率いたマケドニア軍はガウガメラの戦いで、ペルシャ軍を破ったとされる。
今日はその若き王…アレクサンドロスの偉大な功績を辿りたいと思う。


ガウガメラの戦いから遡ること2年。
紀元前333年のこと。
マケドニア軍はアレクサンドロス部隊を直接指揮し、それ以外は副将のパルメニオンに指揮を任せた。
一方河を挟んで向かうのはダレイオス率いる最強ペルシャ軍。
ダレイオスは中央深くに本陣を構えた。
副将パルメニオンがペルシャ軍を引き付けて戦っている間に、アレクサンドロスは一気に河を渡り、ペルシャ軍を背後から叩き勝利を収めたという。


ダレイオス率いるペルシャ軍は逃亡を強いられたわけだが、元来ダレイオスにはピンチに逃げる癖があったらしい。
一方アレクサンドロスには必勝パターンとも言える先程の作戦を得意としていた。
この2つの要因をもってイッソスの戦いはなったと言えよう。


しかしダレイオスもただ負けっぱなしではなかった。
イッソスの戦いから2年、ペルシャ軍はガウガメラ平原に陣を構えた。
その数25万www
さらに大鎌戦車(車輪の横に鎌付けた奴)を開発したことでアレクサンドロスの騎兵部隊の動きを封じた。
またこの戦車は荒れ地に弱いため、平坦なガウガメラ平原を戦場に選んだのである。
ダレイオスはまさに完璧な布陣を持って、アレクサンドロスを迎え撃つわけだ。


対するアレクサンドロスのマケドニア軍は僅か5万www
アレクサンドロスの部隊は、先程の作戦の主役である騎兵部隊を中心としていた。
さらに強固な重装歩兵部隊。
投石部隊や、投げ槍部隊を展開した。
ちなみに投石は100㍍くらいは飛んだらしいwww
この投石部隊や投げ槍部隊は非常に有効であったが、何度も投げられるわけではないという弱点があった。


そして迎えた戦い。
ダレイオスは先の作戦を嫌い、横一戦に陣を進めた。
一方アレクサンドロスは投石部隊、投げ槍部隊の指揮をとり、副将パルメニオンに歩兵、騎兵を任せた。
あくまでも先の作戦を展開しようとする。
ただその時間を稼ぐため、段々になるように部隊を配置した。


いよいよ始まった戦い。
パルメニオンは大軍を一手に引き受け、持ちこたえている。
一方アレクサンドロスは部隊を率いて突如荒れ地に逃走する。
ダレイオスは大鎌戦車部隊を向かわせるが、そこに投げ槍が炸裂。
一方でパルメニオンの方でも、投げ槍を投入し、脅威であった大鎌戦車を使い物にならなくしたのである。


しかしあまりに多勢に無勢。
パルメニオンの部隊は徐々に押されていく。
しかしアレクサンドロスは一切動こうとしなかった。
そこへペルシャ軍が向きを変え向かってきた。
ついに横一戦だったペルシャ軍の列が2つに割れたのだ。


その時を待っていたかのようにアレクサンドロスは戦場を一気に駆けぬけ、ダレイオスの本陣に突撃を試みる。
しかし、ダレイオスの騎兵部隊がそれを追う。
ここで投石によって騎兵を食い止め、ついにダレイオスの一歩前まで攻め寄ることに成功する。


ここで逃げ癖のあったダレイオスはまたも軍を放置して逃走。
この機を逃がさないように、アレクサンドロスは追うのを止め、ペルシャ軍を挟み撃ちにする。
ついに先の作戦を実行に移したのだ。


こうしてペルシャとの戦いを制したアレクサンドロスはギリシャ、オリエント、インドにまで跨がる大帝国を築くことになる。
彼が築いた大帝国は様々な文化が融合、発展しヘレニズムという新たな文化を産んだ。
戦いに戦いで疲弊した彼は僅か32(38?)歳でこの世を去ることになってしまう。


そんな彼を物語るエピソードにこんな話がある。
マケドニア軍が砂漠を進行していた時、ある将校がアレクサンドロスに水を献上したという。
しかしアレクサンドロスはそれを一滴も飲まず、砂にまいたという。
その時、兵達は全員が水を飲んだような気持ちに満たされたという。


こうした部下との絆が様々な戦いでの勝利を生み、大帝国を築いた彼の功績に繋がったのではないだろうか。
ほな 乙

生まれた国

幸か不幸か俺は日本に生まれた。
幸か不幸か俺は中東には生まれなかった。
幸か不幸か俺はアフリカには生まれなかった。
幸か不幸か俺はアメリカには生まれなかった。


この世界では生まれた国が違うだけで、その人の人生が大きく異なってしまう。
それは人々の歴史がそうなるように、導かれてきたという経緯があるが、根本に潜むのはもっと根深い人の本質にあると思う。


アメリカでは、史上初の黒人大統領誕生に国が沸いた。
それは非常に大きな一歩であるが、かつてアメリカのような列強諸国が行ってきた罪が許される訳では無いだろう。
かつて列強の国々は植民地政策でその国力を高めてきた。
それはつまるところ、他国に侵略してその国の人々を奴隷として労働力にしてきたという事である。


幸運にも列強諸国に生まれたある人は大農場のオーナーになれた。
不運にも植民地に生まれたある人は奴隷として生きることを強いられた。
これは今となれば、許されざる行為であろうが、その昔は当たり前の話しだった。
かつて、我々の祖先も同じようにしてきたのである。


日本の国会議事堂を作ったのは誰だ?
答えは、連れてこられた朝鮮人だ。


それから時が流れ、奴隷制度や植民地は徐々に失くなっていった。
しかしその総てが消え失せたわけではなく、アメリカで言えば水呑場は白人と有色人で分けられ、バスでは座席に座ることすら許されなかった。
挙句、差別撤廃を訴えたキングは殺された。


これがごく当たり前の世界であったし、現在の世界の発展の支えであったことは言うまでもない事実。
そしてそれは今でもこの世界の至る所で行われている。


皆さんはご存知だろうか?
そこら中の工事現場で働く弁護士やプログラマー達の存在を。
日本のサラリーマンの平均年収は約450万円。
工事現場の作業員などは、職種にもよるがそれよりも高い場合が多々ある。
そしてその現場では中東では弁護士やプログラマーとして働いていた人々が手押し車や砂袋を担いで泥まみれになっている。


何故だろうか?
答えは簡単である。
中東で弁護士やプログラマーとして働くより、日本で土木作業をしたほうが稼げるから。
おかしな話だとは思わないか?


これが世界の現実である。
人が人であるのに、人が人でないのだ。
生まれた国が違うために、弁護士になりたかった人が土木作業員として働いているのである。


平等という言葉は虚構だ。
誰にでも与えられた自由など空想に過ぎない。


幸か不幸か俺は日本に生まれた。
きっと弁護士になりたいと願い、そのための勉強を怠らなければ弁護士になれるだろう。
ただ一つ願おう。
人が人であることを。
ほな 乙