ゲイでメンヘラ。外国人と海外同士で遠恋中。 -2ページ目

ゲイでメンヘラ。外国人と海外同士で遠恋中。

ゲイでメンヘラ気味の海外在住30代男がリアルで吐けないストレスを発散するためのブログ。
同性愛と構ってちゃんに理解のない方はご覧にならない方が宜しいと思います。

俺は舅姑(父方祖父母)と同居の家庭で育った。

祖父母は、特に祖母が、たぶん、今でいう毒親。
親に虐待された子は自分の子供にも虐待してしまうとはよく言ったものだ。
俺は、虐待はされなかったが、毒親の悪影響は父に留まらず、
孫である俺にまで及んでしまったと思っている。
どこかが歪んでいて、
それを治さないでいると、
次の世代に繰り越されてしまうんだな。

育った環境とは恐ろしいものだ・・・。


アメーバ3歳くらいのころの話(伝聞)アメーバ
毎年盆暮れは母の実家に帰省していた我が母子。
とある帰省時、家を出る際に、同居祖母が俺に向かって、
「◯◯(俺の名前)がいなくなってセーセーするわ」
とノたまったそうだ。

そしてそれを聞いた俺は
「なんで❓◯◯はおばあちゃんいなくて寂しいよ❓」
と答えたんだそう。

アメーバこの話を聞いたときの話アメーバ
この話を母にされたのは、かなり成長してから。
10代後半~20代のどこかだろう。

母は当時この、同居祖母の発言を聞き、
「なんでこの人、こんな酷いことを言うんだろう」
と思ったそうだ。
言われたことの意味も分かっていない、無垢な子供なのに。

確かに。

しかも、俺の方は、
邪魔者扱いされていることに気づいていないどころか、
同居祖母のことは好きだと言っているのに。

ヒドイ❗️
俺、カワイソウ‼️(笑)

アメーバ現在より自分よりコメントアメーバ
この出来事、なんとなく覚えている。
だから、物心ついて以降の話だと思う。
この出来事をダイレクトに覚えているというよりは、
この出来事のことを覚えていた幼少期の自分、
についての記憶がある。
実際の出来事より後の時点で、これについて記憶している、そんな自分に対する記憶があった。

ただ、覚えていたのは、
おそらく祖母の発言のみ、か、ひょっとしたら
家を発つときのシーンだけで、
自分がなんと答えたのかは、母から聞いて知った。

あんなことを言われても、
そんなことを言う祖母と離れるのは寂しいだなんて、
なんて健気な子なんだ。
カワイソウ(笑)

別件になるが、母によれば、
同居祖母が我がキョウダイに対する扱いをひっくり返した、つまり、
上のキョウダイを目の敵にし、俺のことを邪険にしなくなったのは、
小学校に入ってからだそう。
(いや、それでも邪険にされてたけど)

つまり、この↑時点では、上のキョウダイが可愛がられて、
俺は邪険に扱われていたらしい。

平等に扱えないのかね。
順位付けしてしまうのかねえ。
同居祖母だって、決して子供が一人しかいなかったわけではないのに、
複数人の扱いが分からないのか。
うん、分からないのだろう。

父親とそのキョウダイも、順位付けされて育てられたのではないかと思う。

それは、俺自身のことではないし、
プライバシーにかかわるから、これ以上は書くべきではない。
だから割愛。

こういう強烈なオババ様だったから、
俺の中では
「祖母」
が自分の性格をひん曲げた張本人だと思って
「いた」
のだが、たぶん、それだけではないんだよなあ…。

それはまた、おいおい。
たぶん昔の日本人て、子供が悪いことしたら、お仕置きで

に閉じ込めてたんじゃないかと思う。

俺の親がそんな感じだったみたい。
我が家には蔵は無いけど、現代的な物置が戸外にあったので、

俺も
上のキョウダイも(俺だけだったら虐待だ...)
悪いことしたときは、お仕置きで

物置

に閉じ込められてました。

しばらく鍵閉められて、暗闇の中、放置プレイ。

記憶にあるのは、3歳児~幼稚園くらいまで。
それ以降もあったかもしれないけど、覚えてない。
口で説明して分かる歳になったから、止めたのかも?

しかし、幼稚園くらいで、暗くて自分で開けらない所に閉じ込められたら、怖いよ‼️

だからこそ効果があるんだろうけど。

さて、断片的にしか覚えていないのだが、
あるとき、普段よりも厳しめにお仕置きされたことがあった、、、ようだ。

そもそも、もう
「普段」¥
のケースの記憶がなく、
この、「あるとき」
の時のことしか覚えてないのだが、

とにかく、そのときは、

開けて~❗️
あげでぇ~‼️
ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ‼️
うええ~ん😂😂😂
ギャアーーーー😭😭😭

と、とにかく泣き喚いても
開けてもらえなかった(模様。)

当時のこととして生々しく覚えているわけではなく、
どことなく、ちょっと上から客観視しているような記憶なので、
「模様」
とした。

普段から、
あげでぇ~
あげでぐだざいぃ~
ずみまぜんでじだーーーー
と言いながら、扉をバンバン叩いていたと思う。

このときも。
ところが、現代的な物置なので、
鍵のつくりがキカイじかけ。
南京錠のような外付けタイプではない。

でも、家ではなく、物置だから、
その構造物が丸出し。
裏側(閉じ込められてる側)に丸出し。

そこをバンバン叩くもんだから、
ち...
血がね、
物置から出してもらうころには、
血が出てしまっていた。
出血。

扉の取っ手の裏側周辺に幼児の血がっ❗️

その血はそのままで、
年齢がフタケタになった頃もまだ血痕が残ってた。
血ってだんだん茶色くなるんだね。

今もまだ痕跡はあるかもしれないが、
物置を開ける機会も、
わざわざ裏側から扉を覗く機会もあまりない。
開けたときに、
「アレどうなってるかな⁉️」と思い出すこともない。

アメーバ現在の俺よりアメーバ
コレを書こうと思ったのは、決して
虐待的なことをされていた❗️
と言いたいわけでも、思っているわけでもない。

むしろ物置のことは、表層意識上は気にしていない。
「まあ、そういうことも、あるよ、教育的指導には。」
としか思っていない。

気になっているのは、
この↑お仕置きは、
ナンデ❓
されたのか、理由が全く思い出せないこと。

衝撃的過ぎて記憶が封印されてしまったのだろうか...


アメーバ実は…アメーバ
「このぐらいのお仕置きをされても仕方ない」
ことを他人様に対してしてしまったことがある。
コレも、人前で話せるような内容ではないので、
どうしようか考え中だ。
でも、カウンセリングでは話した。

しかも、そんな最低なことをしたのに、
俺の記憶では、親は
「俺がそんなことをした」
ことは知らないことになっている。
だから、罪悪感に苛まれてた時期があった。
いや、今でも罪悪感はある。
(歳を取った分、折り合いをつけられるようにはなった。)

もしかしたら、
俺が覚えてないだけで、
出血お仕置き事件は、
これの懲罰だったのではないか❓
と、今は思っている。

もしそうだったら、
贖罪の意識が満たせるから、希望的憶測で、
自分自身が潰されないように、
自分に都合のよく解釈しているだけかもしれない。
本当のところは分からない。

親にストレートに、
「俺って小さい頃に物置入れられて出血したよね❓あれはなんで物置行きになったのか❓」
または、
「俺が小さい頃に~~~なことしてしまったことって知ってる❓」(←知らなかったら、このあと修羅場だ。)
と質問するしかないだろう。

無理だ。

だから、一生、
微妙な罪悪感を抱きつつ、
微妙に罪滅ぼししたつもりになりつつ、
生きていくしかない、
のかな、と思う。



アメーバ小学校低学年のころの記憶アメーバ
小学校低学年と書いたけど、もしかしたら幼稚園かもしれない。
どっちやねん❗️

当時、ママ友のお宅に行くというイベントがあった。
上のキョウダイつながりのママ友。

上のキョウダイは、自分の友達がいるから、たぶんみんなで遊んでたか、その日は付いてこなかったか。
おうちの中にはいなかったように思う。
上のキョウダイが付いてこなくて、俺がいる、ってことは、
上は小学校で、俺は幼稚園のころの記憶かもしれない。

でも、なんか、直感で、小学校低学年って思ったんだよなあ。

家主以外のママ友もいたように思うけど、
状況的に考えて、それはないのかな。
記憶違いかも。

とにかく、母とママ友はおしゃべりしてて、
「うちのコ、この歳で抱っこしてもらいにくるのよ~!」
的なコトを。

‼️

ちょっと何種類か記憶が交錯してる。
一つは、俺はおしゃべりしてる母と同じ空間にいて、俺の話をしてる。
当時の俺は、(母の手が、いや、胴体が?空いていると)母のトコにいって、母に乗っかる(つまり抱っこしてもらう)クセがあったようで。

その話をしてる。

もう一つの記憶候補は、
母たちがおしゃべりしてる、その場で、抱っこしてもらいに行った。
それで、母が、↑のように言った。

どっちだったか思い出せないけど、
「なんでそういうことヒトの前で言っちゃうの~⁉️」
と思った記憶もあるような(その場で抱っこを求めてなかった場合)、
単にしら~っとしてた記憶もあるような。

そのあと覚えてるのは、ママ友が、
「いいじゃないの~、今だけよ~」
って、フォローしてた。

アメーバ今ふりかえるとアメーバ
そうそう、確かに。
結果をみれば、
「今」
だけだったよ。

ママ友は、うちのキョウダイより年上のお子さんがいたので、
もしかしたら本当に子育て経験から発言されたのかもしれない。

しかし、こうしてふりかえると、
俺、抱っこ足りてない❗️❗️

乳児期の足りない抱っこを補おうとしているように見える...。
俺、カワイソウあせる(笑)

しかも、この経験を一歩引いて観察すると、
母を占有できるときに、抱っこを求めに行ってた気がする。
これは、ちょっと記憶がないので、なんとも言えないが。
少なくとも、あの時は、上のキョウダイは同席してなかったし、
安心して抱っこしてもらえる状況だったのではなかろうか。
上が年齢的に大きくなってて、母の取り合いにならないタイミングだったのではなかろうか?

とにかく、乳児期の抱っこが足りてない反動が現れてるな、と思わされました。