「社会に出ればわかるよ」と言うが、何がわかるというのだろうか。

頭でっかちにとやかく言っても、現実はそんな「理想」通りいかないということだろうか。

そんなことははなから分かっているのである。

「今・ここ」では理想どおりに動くことができない。流されざるをえない。


というようなことがあるのは重々承知なのである。

あたしが言っているいるのは、「あのとき・あの場所で」どうすべきだったのか。

事実はどうであったのか。どのような価値規準に立脚(して行為)すべきだったのか。

と、人間は常にメタ的に考えざるを得ない、ということである。

そのときに、理想から照らして考えることもあるだろう。

真には実現できないかもしれないが、実現できればなお善いこと(世界)を描くことは可能だろうし、それを考えなければならない、というか考えてしまう。


そういうときのために、考えるという作法が必要なんですよ、と言ってるだけなのに。

おばかちゃんは、考えの空間・レイヤーが一面的すぎるため、勘違いにばかり終わる。