1999年、日本初の「ポピュラーミュージックセラピー」(PMT)のCD「FAMILY」を発表しました。
PMTとは、私が開発した独自の音楽療法の手法です。

岡田ユキと日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)

従来の音楽療法は、心理の研究者が行っている心理療法の一環で、音楽家が直接携わっているわけではありませんでした。
音楽を聴くリスナーの立場で音楽の持つ心地よさや思い出を使って、低下した身体的機能を蘇らせるためのものでした。
ですから、音楽療法に携わる専門家は、演奏や歌唱による音楽の楽しさというのはあまり重要視していませんでした。

実は、音楽と言うのは聴くよりも、やる方が楽しいのです。
音楽をするということは、「地道な練習を重ねたり・緊張したり・評価されたり」するので、とても難しいことと、多くの人は思っています。
それは、その通りなのですが、それらの努力によって得られる「達成感」が、たまらなく心地が良いのです。
同時に「達成感」を得られた時に人間は成長できるのです。

そもそも音楽療法とは子守歌から始まっています。
子供が泣いている時に母親が子守唄を歌うと、子供は落ち着き泣くことをやめるというのが、一般的な解釈です。
ですが本当は、子どもが泣くと母親は子供の泣き声に、大変苛立つのです。
母親は、自分の苛立ちを押えるために、子どもに向かって子守唄を歌っているように見えるのですが、実は、自分自身の苛立ちを沈めているのです。
つまり、子守歌とは自分に対して、自分のストレスを解消するために行っている「音楽療法」なのです。

近年、母親の子供に対する虐待が増えています。

その原因の一つは、母親が子守唄を歌わないことです。

実際私も幼少期に、家族から虐待行為を受けた後は大変悲しかったので、その気分を変えるために楽しいことを意識的に考えました。
普段から音楽が好きで、中でも歌を歌うことが大好きだったので、意識することなく歌を口ずさんでいました。
初めは泣きながら、弱々しい声で歌っているのですが、1曲歌い終わる頃には、身体中に力が湧いてきで、2曲目を歌う時には虐待されたことはすっかり忘れてしまうくらいに、楽しくなっていきました。
私にとって音楽とは、なくてはならないものでした。
そのおかげで、辛い境遇を乗り越えることが出来たのです。
これが初めての、私が私自身に施した「音楽療法」でした。

その後成人して、息子を出産しました。
息子も他の子供と変わらず、夜泣きや自己主張の手段として泣きました。
私の固定概念として、子守歌といえば童謡でしたが、正直歌っても私は楽しくないし、その私の思いを察してか、息子も泣き止んではくれませんでした。

当時の私は、プロのジャズシンガーを目指しており、ジャズのスタンダード曲をたくさん知っていました。
息子が生まれて、ジャズシンガーの仕事をするようになったので、息子をあやしながらジャズのスタンダードを心地良く歌ったところ、
驚いたことに、息子が一瞬にして泣き止んだのです。
私の歌を聴いて、楽しんでいるようにも見えました。
そこで気が付いたことは、子守歌が童謡でもジャズのスタンダードナンバーでも関係がなかったということでした。
私が歌を歌って心地が良いから、息子もそんな私の「気持ち」を感じて、心地良くなってくれたのです。

私の母親と息子の面白いエピソードがあります。
母が息子(生後半年)の子守をしていた時のことです。
いくら歌を歌っても、あやしても息子は、一向に泣き止まなかったそうです。
そこで母もいろいろ考えた結果、私の声真似をして低い声で「あーよしよし」といったそうです。
すると驚いたことに、何を言っても、何をやっても泣き止まなかった息子が、一瞬にして泣き止んだそうです。
その後、息子がまた急に泣き出したそうです。
今度は私の声を真似ても泣き止まないので、母は「なぜ息子を泣かせてしまったのか?」と、自分の行いや言葉を振り返ったそうです。
そこで気がついたのは、母は私に息子の子守をさせられて苛立っており息子に向かって、無意識に私の悪口を言ってたそうです。
それを聞かされた息子は、母に泣きながら訴えたかったのでしょう。
母も半信半疑でしたが「この子はもしかして、自分の母親を悪く言われたので、怒っているの?」と思ったので、今度は私のことを思い切り褒めたそうです。
すると息子は、一瞬にして泣き止んだそうです。
「三つ子の魂百までも」生後半年でも子供には、母親の存在はしっかりと見分けられるということです。

その後、シングルマザーになって子供の成績が下がった時にも、私独自の音楽療法をやりました。
復唱相手(私以外の家族はおらず)がいなかったために、一度覚えたかけ算を忘れてしまったのです。
かけ算ができなくなってしまい、算数の成績が急激に下落しました。
そのため息子に、「カケ算ラップ」(かけ算の歌)を作って助けました。
作った歌を120分のカセットテープに録音して、毎朝繰り返し息子に聴かせました。
それが潜在意識(レコーダーの機能をします)にインプットされて、成績が上昇しました。
息子からは大変感謝され、「お母さんて天才!」と、褒めてもらえました。
おかげで、シングルマザーとしての「親の威厳」は守れたようです。(笑)



息子に成功した音楽療法は、他の子供たちにも広がっていきました。
成績が急上昇したことで、息子の担任から「成績の悪い子供たちを助けてもらえませんか?」と言われ、その結果、かけ算の出来ない子たちは、むしろかけ算だけは得意になり、息子のクラスの算数の平均点は急上昇しました。
その「カケ算ラップ」は、東京書籍からも教科書掲載の話がありました。
東京書籍側からすると、「メロディー」がないと著作権の登録ができないので、メロディーを付けて欲しいと言われたのですが、音楽療法上、私はかけ算に関しては「リズム」が大事だと主張し、教科書会社は著作権登録してビジネスとして利益を得なければいけなかったので、話し合いは平行線に終わりました。

またある時には、新宿区から高齢者を対象に、カラオケ講師の依頼がありました。
仕事を受けるに当たり、新宿区から条件を出されたのです。

その条件とは、前任者の先生がクラシック畑の講師だったために、講師が指導した通りに高齢者たちができないと、みんなの前で厳しく叱責されるというものでした。
反対に、講師が気にいると生徒の代表として前に出て歌えて、「お褒めの言葉」までもらえるのだそうです。
生徒たちは音楽を楽しみたいのですが、差別が著しかったり、オペラ歌手のような指導をされることが苦痛とのことで、私にはできればそのような指導は避けてほしいということでした。
生徒たちは今更プロになりたい訳ではなく、リタイアした時間を楽しみたいだけなので、生徒全員(約60人)が楽しめる授業をしてほしいといわれたのです。



私にとっては楽しい授業をするのは得意なことでしたので、3時間の授業のなかで60人の生徒全員に一人づつ前に出て、マイクを持たせて、ソロで歌うことの楽しさを教えました。
初めは前任の講師とは全く違う授業内容に、緊張や戸惑う生徒もいましたが、次第に人前で歌うことが楽しくなってきたようで、生徒たちの表情や外見(服装・髪型・化粧・他)、立ち振る舞いに変化が出てきました。
人に見られるということを意識し、外見を良く見えるようにする人。
人に見られるという意識は緊張感を生み、緊張感から軽い認知症の人などは劇的な改善がみられました。
そして下向き加減の人は顔をあげるようになり、表情が暗かった人は明るくなり、体の痛みに苦しむ人は、痛みが改善されていきました。
3ヶ月もすれば生徒たちは笑顔で、笑い声が絶えない楽しいカラオケの時間になっていました。

そんな中でも特に、音楽療法の素晴らしさを実感でき、改めて音楽の力に驚嘆した出来事があります。
かつて若い時は、航空機の客室乗務員だったという生徒がいました。
若い時は頭も切れて、とてもきれいな方だったと思いますが、私のクラスに通っていた当時は重度の認知・痴呆が進んでおり、髪型や服装も気を遣えず大変だらしがなく、言葉もまともに喋ることができませんでした。
しかし私は、その生徒が目の奥から何かを強く訴えているように感じたために、他の生徒同様、彼女も前に立たせて歌わせていました。

他の生徒からは、「先生彼女はボケてるから、何を言ってもわからないし、時間の無駄だよ!無視した方がいいよ!」と言われながらも、私と彼女だけには回を重ねるたびに少しずつ、プラスの変化が起こっていることに気がついていたのです。
実は彼女はうまく言葉を話せなかったのですが、毎回教室に来ると私にだけ「目で挨拶」してくれるようになっていたのです。
それが、半年もすると驚くような回復ぶりで、外見もどんどんきれいになっていき、髪型、服装も気を遣うようになり、声も「うー、あー」しか出せなかったのが、徐々にはっきりとした声が出るようになり、今まで出来なかった他人との会話も出来るようになっていったのです。
私自身、「そのようになれば良いのにな?」と、思いながら彼女に関わってきましたが、その思いが通じたのです。
彼女の変化に一番驚いたのは、私自身でした。
他の生徒も奇跡のような彼女の変化に驚いていましたが、気がつけば彼女はすっかりクラスの生徒にも溶け込んでいて、生徒全員が、「心も体も」元気いっぱいになって、私の授業を楽しんでくれました。

新しい生徒が参加すると当然、マイクを持って人前で歌うことにはとても抵抗があるでしょう。
そんな人にはクラスの全員が「岡田先生の授業は、マイクを持って1人1回必ず歌わないとダメなのよ!自分が楽しまないとダメよ!」と言っては新しい生徒をきちんと仲間に入れて、面倒を見てくれるようになっていました。
新入生は、必ず同じことを私に言います。
「岡田先生、私は歌がへたです」、「人前で歌ったことがないので、恥ずかしいです」というのですが、2-3回私の授業を受けると、逆に人前で歌うことが心地よくなって、今まで行ったことのないカラオケボックスやカラオケのあるお店に生徒同士で行くようになったりして、楽しんでいました。

初めは抵抗感はありますが、その場の空気でマイクを持って歌わざるを得なくなり、緊張しながらも人前で歌って、皆に拍手されると、それが喜びに変わり、結果としてはとても楽しい時間になります。
普段からカラオケボックスで独りで練習している人も、本番の授業で、皆の前で歌うということは、また格別の楽しさがあったと思います。
皆に拍手してもらえるという楽しさ、リスナーからの反応、それにより多くの自信が湧いてきて、自然に笑顔になれる、だから、知らない間に元気一杯になっていて、病気や持病があったことすら忘れてしまっているのです。
まさに病は「気」からで、自分の内面が元気になると、すべてが良い方向に変わって行けるのです。
私はこの体験から、音楽の持つ秘められた力に改めて、気づかされました。
そんなこともあり、私独自のPMTが確立していきました。

ただ、誰でもが「岡田式PMTの音楽療法」が出来るかと言うと、実はそうではありません。
私は16歳から社会に出て、アパレル業界での接客で様々な人を数えきれないくらい見て来ました。
経営者の経験もあり、「岡田式AC判別法」の心理の理論も構築しました。
そして、親子の関係や、子育ても経験しています。
皆さんご存知の、分科会・ダルメシアンでのミュージカル指導・製作の経験もあります。
また、現役のプロの音楽家として日々の仕事で研鑽しており、それらの全てを複合的に授業に取り入れて、生徒たち一人ひとりにあった教え方で、楽しませて成長させたことが成功へと繋がっています。



その後も生徒たちはよりパワーアップし、東京都や新宿区で高齢者対象のカラオケコンテストで「入賞したい」と、目標を持って参加しました。
「せっかく岡田先生に教えてもらっているのだから、岡田先生の作詞・作曲したオリジナル曲「ぶぶ漬けいっぱい」を歌いたい」と言われ、その結果、見事コンテストで賞を受賞することが出来ました。

 



★重度の障害があり、体の機能上歌えないという人にとっては、聴くだけの音楽療法しか選択肢はないかもしれませんが、
そうでなければ歌って、体を動かす、岡田式PMTによる音楽療法の効果は高いということが、これまでの実践で証明されました。