僕を心配して家にやってきた友達数名。
僕は母の病気を説明しました。
真っ先に駆け付けてくれたのは親友のコウちゃんでした。
『そうかぁ……俺、おまえの母ちゃんが作ってくれた唐揚げの味、覚えてんだぜ?』
『あたしもおにぎりもらったぁ』
高校時代、僕のせいで彼氏に怒られてしまったミオちゃん。
『お、俺、岡田に聞いて欲しい話があるんだ!』
突然、千葉の悪夢という伝説を生み出したリョウちゃんが言いました。
『岡田のお母さんと同じ病気になった人が知り合いにいるんだ! でもその人、ほぼ完治したんだよ! 病気治って、普通の人とほとんど変わらない生活ができるようになったんだ!』
僕はわらにもすがる思いで「本当か?」と何度も聞きました。
『本当だよ!』
笑顔で答えるリョウちゃん。
その瞬間、僕の重かった心は一気に軽くなりました。
空気を読まないと評判なリョウちゃんが、僕の心を救ったのです。けどお前が呼んだ千葉の悪夢は一生忘れないけどな!
一緒にアホな青春を体験した友達。
その日から何人ものそんな友達が僕を励ましに来ました。
僕は毎日母の下に通いました。
すぐに3日は過ぎました。
それでも母は生きました。
そして7日目。
いつもの様に母のいるICUに入った瞬間、興奮した看護師さんが話かけてきました。
『今さっきまでお母さん、目が開いてたんですよ!』
僕はすぐに母の隣に。
「母さん! 母さん!」
ゆっくりと、母は目を開けました。
「息子だよ! 分かる!?」
虚ろな瞳で母は確かに頷きました。
記憶があるのです。
僕はその場でまた号泣しました。
それからというもの、母はみるみる回復していきました。
ていうか異常でした。
数ヵ月後。
一切の記憶障害は無し!
母はその後、軽度の半身まひのみ残りましたが、懸念されていた症状よりも遥かに軽い症状で退院したのです。
それから、自宅療養とリハビリで細やかな麻痺を残して、自分の足で歩けるっつうかもう普通の人と同じ生活ができる様になりました。
ていうか普通のうるさいババアになりました。
医者が言うには『宝クジで3億円を当てるのと同じ確率です!』だそうです。
マジ?
こうして母はとてつもない生命力で復活を遂げました。
それから3年経った頃。
母は言いました。
『お母さんはね、あんたが心配で生き返ったのよ』
おぉ。じゃあもう少し面倒見てくれ。
これが僕の20代の人生で、最も愉快なお話。
・追記2020.4.14
その後、母は2018年の冬に亡くなりました。
ありがたいことに14年以上長生きして、20代の頃に出来なかった全ての親孝行を実現した直後でした。
死という事実を変えることは出来ませんが、母の使命は、息子が立派に成長する姿を見届けることだったと信じています。
おしまい