中学生の頃、TVの万引きの特集を見ていた母と僕。
「俺が万引きしたらどうする?」
なんとなく質問する息子。
『万引きするくらいなら、銀行強盗くらいしなさい』
TVを見ながら言う母。
息子はニヤリと笑って言いました。
「分かった!」
高校時代、夜な夜な遊びに来ては女の子を連れ込む友人達と僕。
ある夜、同じ学校のより選りの不良な後輩達が僕の部屋に来ました。
総計15人で大宴会。
『あんた達! 何やってんの!!』
そんな僕達の輪に、母は怒鳴り込んできました。
『あんた達! どこの学校!?』
すみません、みんな同じ偏差値高めの学校の思春期の子です。
『嘘言いなさい!』
最後まで信じてもらえずメチャ怒られました。
その後、母は全員におにぎりを握ってくれました。
現在、そんな母は何度呼んでも起きません。
母が横たわるベットの横で、僕は顔をグシャグシャにして、小さな声で何度も母を呼びました。
脳裏で溢れ出す母との思い出。
間もなく、僕は大きな声で嗚咽しました。
隣では父も目を真っ赤にして泣いています。
岡田家は3人家族。
掛け替えの無い1人の命が、今、失われようとしていました。
残された2人は泣きました。
号泣する中、僕はふと、ベットの端にある母の手を見つけました。
母の手に触り、握ります。
昔と変わらない、記憶のままの、少し厚い母の左手でした。
その時、僕は気がついたのです。
(まだ温かい!)
実感したのです。
(母さんはまだ生きてんだ!)と。
余命3日。現実では何も変わらない絶望的な状況でした。
しかしまだ温もりのある母の左手は、僕の心に少しだけ希望を与えたのです。
母と面会後、医者の説明を受けました。
脳の大切な部分の破裂、高確率で余命は3日間、運良く生きる事ができても、待っているのは記憶障害と四肢不随をはじめとした膨大な障害でした。
死ぬか、生きても植物状態です。
僕は真面目に医師の話を聞きながら心の中で思ってました。
(その全部の障害、必ず覆してやるよ)
無謀で果てしなくポジティブな19歳の僕は、病院を後にし、実家に帰りました。
まだ掃除と料理をする人が留守になってから 間も無い暗い部屋。
落ち着かない夜中。
話を聞きつけた友達が僕の家にやってきました。