小学校から高校までずっと同じだった岡田君ですが、大学は別々の道を歩むことになりました。


そもそも、僕達の学校は余程の問題行動を起さない限り高校まで進学出来、最低限の勉強が出来れば大学も推薦で行けるクズ製造システムを搭載していました。


一応同級生の方々の名誉の為に付け加えると、生徒も先生も環境も素晴らしく大半の人は立派です。僕がクズなだけで、みんな世界中で活躍しています。偉大です。尊敬です。


僕は生まれて初めて常在戦場の気概で死ぬ気になって勉強してギリギリなんとか滑り込みました。


岡田君は戦死しました。


埼玉の自宅から、なるべく近くて行けそうな大学を担任の先生に探してもらった結果、山口県まで飛ばされてました。


ただ春休みは東京へ帰省してきたので、川越にある農機具を製作している工場で一緒にバイトをすることに。


僕達が作業するラインの班長はIさんという中年のオジサンです。


Iさんはとても無愛想で口も悪く、僕達の間ではひとりアウトレイジと呼ばれていました。すいません当時アウトレイジ無かったです。


今考えると、まあ口は悪いけど仕事は出来るであろう普通のおっちゃんだったんだと思いますが、当時の僕達は18歳。


「なんだあのクソ親父!」


「きもいんだよ!42とかいい歳して独身?しかもハゲてるし!生意気に手作りの弁当なんか作るんじゃねえよ!」


とか文句を垂れてましたが、気付くと僕は33歳で独身。おでこ広い。人生という名のビンゴにおいてリーチ宣言状態だなと思いました。


まあそんなこんなで1ヶ月ほどバイトしてたら、朝いきなり派遣元の営業さんから電話が。


「あ、島田君?君ね、もう明日から来なくていいから。君のお陰で製造ライン大混乱だから。マジファッカ」


は?こっちがマジファッカ牧場なんだけどって思いました。


そりゃ定時ですぐタイムカード切らずに喫煙所で時間潰して多少多めに残業代を貰おうとしたけど、そんな事で大混乱する工場ってどんだけデリケートなんだよ。


もちろんクビになった原因は他にありました。


後から岡田君に聞いて分かったんだけど、僕と同じ作業をしていたブラジル人のジョンが、自分のミスをここぞとばかりに僕に擦り付けたのです。


どうやら僕は知らない間に、芝刈り機の持ち手に滅茶苦茶大量のボンドを塗って不良品を大量生産したバカという濡れ衣を着せられたようです。


これがホントのバカボンドなんつってー!くっくっく。


28歳ぐらいまでは、もしジョンにあったらマジで地中深くに埋めてそのままブラジルまで強制送還してやりたいと思ってました。


ですが、今考えると日頃の僕の態度や仕事ぶりさえ誠実にきちんとしていれば、きっと疑われることも無かったのだと思います。


そういう意味において、日頃の誠実な態度こそが信頼を勝ち得るために最も重要な事なんだなと身をもって学べた事にマジ感謝、マザーファザーマジ感謝です。


岡田君はジョンとめっちゃ仲良くなりました。