ども、我が家の地デジが映らなくなってしまった岡田達也です。

 

 

 

 

一昨日、場当たりに立ち会ったという話を書いた。

 

 

毎度毎度書いてる話で申し訳ないけどーー

 

「場当たり」というのは

 

「テクニカルリハーサル」

 

あるいは「キッカケ稽古」と呼ばれる舞台用語。

 

 

稽古場で、芝居の稽古はできる。

 

音楽も流せる。

 

だけど、

 

劇場に入ると舞台セットが建ってるし、

(袖からの距離が稽古場とは違うんです)

 

照明が入るし、

(立ち位置がシビアになってくるんです)

 

BGMの聞こえ方も稽古場とは違うし、

(客席だけではなく舞台中にも音は流れてるんですよ)

 

など、

 

各セクションのやらなければならないことを

 

初めて「せーの」で合わせられる貴重な時間。

 

そりゃ、もう、どれだけ時間があっても足りないのが常。

 

 

 *

 

 

今だから言えるけど……

僕自身、昔は場当たりが嫌いだった。

大嫌いだった。


理由はただ一つ


演出家にも、照明さんにも、音響さんにも、怒られてばかりだったから。

いや、怒られるのは仕方がない。

 

問題は、

 

自分の芝居の出来が悪くて「演技の練習時間」になってしまうと、キッカケ稽古が進まなくなる……

 

ってこと。

 

そうなると、スタッフさんたちの機嫌もどんどん悪くなっていく。

 

本当に、劇場内が、何とも言えない空気感になるのだ。
 

あのピリピリした感じ

 

今思い出しても生きた心地がしない。

 


「はやくこの時間が過ぎ去ってくれないか」

毎度毎度そう思っていた。

いたのだけど、

 

自分の芝居が不出来なのは変わらないので

 

その時間が過ぎ去ることはないという悪循環。

 

今思い出しても生きた心地がしない。

(大切なことなので二度書いておきます)

 

 

しかもその怒られ方(言葉のチョイス)は、

 

今の時代とはまったく違うハードなものだったから、

 

どうしたって重い空気になってしまう。

 

今思い出しても生きた心地がしない。

(大切なことなのでオマケにもう一度書いておきます)


 

でもね、

 

あの時間を経験できたことは

 

今の自分にとって財産だとも言える。

 

 

厳しい時間だったことは間違いないけど、


作品に関わるスタッフさん全員が

「最後の最後まで良くしたい!」

と、本気で思っていたからこその厳しさであって。

その空気感に身を晒していたことによって鍛えられた部分はある。

確実に、ある。


今の時代「厳しさ」は「ハラスメント」に置き換えられる可能性が高いので、

 

そこまで追い込まれることはないだろう。

ただし

「いいよ、いい芝居だよ」と褒めるだけで芝居を作るのは難しいとも思う。

けっしてハラスメントを肯定してるのではなく、

言いたいのはただ一つ。

大切なのは「負荷のかけ方」だってこと。

上手な負荷のかけ方。

 

もちろん自分に対してもだし、

 

こうやってコーチする機会が増えているのだから、他者に対してもそう。

 


なかなか難しい課題だけど、

 

これらと真剣に向き合わないとダメかもなぁ

 

 

場当たりに立ち会って、そんなことを考えたわけですよ。

 

ってことで、忘備録として記しておきます。

 

 

 

 

では、また。