ども、本日は臨時コーチに向かう岡田達也です。




昨日のつづき。


 *


「役者としてはダメだったけど、制作スタッフとして働いてみないか?」

という加藤さんのお誘いにひょいひょい乗っかって

「やります!」

 

と返事してしまった。


そして迎えた出社初日

加藤さんが机の向こう側に声をかけた。

「専務~、せんむ~!」

机が衝立になっていたので、僕の位置から向こう側は見えなかった。

「なに?」

声だけが聞こえてきた。

女性の声だった。


……気のせいだろうか?

ちょっと重ためというか

ちょっとイラっとしてるような

そんなトーンに聞こえた。


加藤 うちで雇ってもいいよね?

陰の声 誰がそのお給料払うんですか?

加藤 それは、その~

陰の声 うちにはそんな余裕ありませんよ

加藤 いや、まぁ

陰の声 誰がそのお給料払うんですか?

私 ……

陰の声 誰がそのお給料払うんですか?


おいおいおいおい

まてまてまてまて

これは一体どういうことだよ?

俺は求められたんじゃないのか??

みなさんに認められて入社するんじゃないのか???

なんだこの「およびでない」って雰囲気は???

俺は植木等か???


加藤さんが小声で訊いてきた。

「ひと月、どれくらいあれば暮らせる?」


その頃、僕はトラックの運転手でベビー用品の配送をしていた。

「役者になったらいくら金があっても足りない」という世間一般の噂を信じて、

 

かなり給料の高い仕事を選び、貯金に励んでいた。

当時23歳だったけど、景気の良い時代だったこともあり、僕は月に20万近く稼いでいた。


言えない

とてもじゃないが言えない

「今は月20万稼いでいます」なんて、この雰囲気の中で言えるわけがない

僕は当時、杉並区の永福町という場所で、家賃6万円の1Kに住んでいた。

“家賃は給料の3分の1~4分の1が妥当”という情報を、

高校生のときに愛読していた『POPEYE』という雑誌から得て、

その言いつけ通りに暮らしていたのだ。

今のようなネットの時代じゃない。

情報はすべて紙媒体からだった。


チキンハートな僕は、つい、口をすべらせた。

「いくらでもかまいません。頂いた分だけで暮らせます」


何言ってんだ、自分……

トチ狂ったのか??

もしも、もしもだよ、

加藤さんが「じゃ、8万円で大丈夫?」って言ってきたらどうするんだよ???

無理だよ

暮らせないよ


加藤さんが言った。

「じゃ、とりあえず10万円で」


20万円が10万円か……

これはかなり切り詰めないと暮らせないぞ

引っ越しも視野に入れるか

その間、0,2秒ほど


「は、はい、なんとかなるかと」

「わかった、11万円!」

「ありがとうございますっ!」


もう、そう言うしかない

噂で聞いていた演劇界には、お金なんてあるわけないのだ

当時はバブルがはじける直前だったけど、そんな恩恵はこの世界に吹くわけない

11万円か……

十分じゃないか


机の向こうから先ほどの女性の声が聞こえた。

「11万円?」

加藤さんが虚勢を張って返事した。

「お、おう」

声が聞こえた。

「それ、社長がポケットマネーで払ってくださいね」


僕は、ここに来たことを後悔した。




つづく

 

 

 

 

追伸

 

オンライントークショー『東京砂漠』

 

次回は3月20日 18:30スタートです!

 

主役は「影の声」です!