ども、『ドクタースランプ』が大好きだった岡田達也です。




オンライントークショー『東京砂漠』

次回は、

真柴あずき大先輩の還暦祝いをメインに

真柴あずき先輩の盟友・坂口理恵大先輩をゲストに迎え、

笑い屋として今井義博大先輩も参加してもらい、

西川”あしながくん”浩幸大先輩にボケ倒してもらい、

ペーペーの岡田達也がMCを務める

……という、貴重な回になる予定だ。


30数年在籍していて

それでも自分が一番下っ端なんて

こりゃ面白くなる予感しかない。
 

 

 


それに先んじて、、、

真柴あずき先輩と私の、出会いの話をしよう。

忘れられない思い出話を。


 * *


むかしむかし

 

若かった僕は、キャラメルボックスのオーディションを受けた。

見事に散った。

その散り様は見事なものだったと思う。


大きな声は出ない

セリフはまともにしゃべれない

体はいつだって棒立ちで

しゃべりながら動くことなどできない

「こいつに芝居ができるなら、日本中の人間が名演技できるよ」

 

と、審査した劇団員全員が思ったはずだ。


だが、しかしーー

演劇のセンスは0だったけど

“人をたらすセンス”はあったのかもしれない。


不合格の電話をもらったその数秒後

 

再び電話が鳴った。


加藤昌史製作総指揮(当時)だった。

 

「役者としてはダメだったけど、制作部の仕事をやってみないか?」

 

と声をかけられた。

 

 

思えば、

 

この一本の電話が、

 

僕の人生を大きく狂わせることになったのだ。

 

 

あそこで拾われなければ

 

僕はさっさと鳥取に帰り

 

有能なサラリーマン生活を送り

 

良きタイミングで地盤固めを進め

 

鳥取県知事への道を歩んでいたはずなのに……

 

 

ってことはだよ、

 

加藤さんは

 

僕の人生の恩人なのか?

 

僕の人生を狂わせた犯人なのか?

 

悩ましいところではある。

 

 

さておき

 

加藤さんに拾われた僕は

 

当時キャラメルボックスの制作を担っていた

 

ネビュラプロジェクトに出社した。

 

 

ドキドキしながら扉を開いた。

 

「おはようございます」

 

女性スタッフさんが2人、デスクに向かって仕事をしていた。

 

一人の人が声をかけてくれた。

 

「あ、岡田くんですね? 加藤さん、来ましたよ!」

 

奥から加藤さんが出てきた。

 

「おおっ~、よく来てくれたね!」

 

「お世話になります」

 

「うちのスタッフだけど、こっちがゴン、こっちが歌子」

 

「よろしくお願いします」

 

「それからねーー」

 

「はい」

 

「専務~、せんむ~!」

 

加藤さんは机の向こう側に声をかけた。

 

机が衝立になっていたので、僕の位置から向こう側は見えなかった。

 

声だけが聞こえてきた。

 

「なに?」

 

女性の声だった。

 


……気のせいだろうか?

 

ちょっと重ためというか

 

ちょっとイラっとしてるような

 

そんなトーンに聞こえた。

 

 

 

 

つづく