ども、昨日がカレーの日だと知っていればカレーを食べたのにと後悔している岡田達也です。
20日の土曜日は、亡き母・秀子さんの誕生日だった。
そして、今日23日は、兄・浩一くんの59回目の誕生日。
つい先日もお世話になっている養護施設から電話をいただき、本人の声を聴いた。
とても元気そうな声をしていた。
*
浩一くんは、生まれつき重度の障がいがあった。
言葉は「あ」しかしゃべれない、
体は動くけど、五体満足な人と比べたら非常に危なっかしい動きしかできない、
そんな兄は僕の3歳年上。
つまり昭和40年生まれ。
ちょっと信じがたい話かもしれないけど、、、
当時「知的障がい者は長生きできない」とまことしやかに言われていた。
何が根拠なのかわからないが「40歳までは生きられない」とも。
で、まぁ、
素直な子供だった僕は、
(……そこは信じてくれよ)
「そういうものかもしれない」と思い
いつか来る兄の“早めの死”を覚悟して生きてきた。
それがただのデマだったのか、
医学の発達なのか、
何が理由なのかはわからないけど
浩一くんは元気に生きている。
(喘息もちなので、発作が出るときだけは大変ですけど)
コロナがやってきて、以前のように家に連れて帰ることは難しくなった。
ってことで、直接プレゼントは渡せない状況なので、
代わりに、本人の好きそうなお菓子を詰め合わせて施設に送った。
きっと今日か明日あたりに電話があるだろう。
で、元気な声を聞かせてくれるはず。
*
兄弟喧嘩をしたことがない。
だって、ケンカのしようがなかったから。
そこについては少し寂しいと思ったこともある。
(え? 兄弟喧嘩ってそんな生易しいものじゃないんですか?)
だけど
僕が物心付いたときから、
兄は守るべき存在だったという事実は、
僕の人生において大きな作用があったはずで、
例えば
最初に障がい者が生まれて、次男が健常者だったことは、
父や母の子育てにだって何かしらの影響があったと考える。
まぁ、ポジティブに考えるなら
兄弟喧嘩はできなかったけど、
浩一くんのおかげで、なかなか経験できない人生を送らせてもらえたとも言えるわけで、
この兄弟関係を楽しめるようになったのは貴重なことだと思う。
無いものねだりしていてもしょうがないし。
*
とりとめもなく書いてしまったけど、
平たく言えば「浩一くん、お誕生日おめでとう!」ってことです。
毎年、同じような話ばかり書いててすみません。
でも、いいんです。
私の日記は「落語」だと、西川浩幸先輩が言ってくれたので、
何度だって同じ噺をかけさせてもらいます。
では、また。