ども、本日は髪の毛を切る予定の岡田達也です。

 

 

 

 

 

毎日ちゃんと稽古している。

 

(……当たり前だ)

 

 

昨日

 

アンサンブルキャストの太田くんが

 

約束通り稽古場にG0クッションを持ってきてくれた。

 

さっそくパイプ椅子の上に置き座ってみた。

 

 

こ、これは!

 

す、すばらしい!

 

ぜんぜん違うじゃないかっ!

 

尾てい骨に痛みを感じないぞっ!

 

 

あまりの座り心地の良さに思わず寝そうになった。

 

(……ホントにちゃんと稽古してるのか?)

 

 

 * *

 

 

稽古一周目は

 

粗くミザンス(舞台全体のキャストの配置、立ち位置)を決めていった。

 

そして今

 

稽古二周目はさらに細かく動線を決めながら

 

ミザンスの修正作業をしている。

 

 

芝居を続けて30年以上経つが

 

もし

 

自分の役者としての能力を

 

自分で褒めることを許してもらえるなら

 

たった一つ

 

「ポジション取りのセンス」だと思う。

 

 

このセリフのとき

 

しゃべる人間がどこに居て

 

次に話す人間がどこに居るのが効果的なのか?

 

キャストが被らないで、フォーカスを当てるべき人物の顔がお客さんに見えるためには、どう動けばいいのか?

 

上手(かみて)と下手(しもて)の重さがアンバランスにならないためには?

 

……などなどが、わりと早く掴める。

 

これは

 

経験によって、俯瞰能力が獲得できたんだと思う。

 

 

そりゃそうだ

 

そんなもの最初から身に付いていたわけじゃない。

 

 

舞台を始めたころは

 

誰がどこに立って芝居していようと、そんなことは関係なかった。

 

だって

 

まず肝心なのは

 

自分が怒られないセリフをしゃべることだから

 

そこだけに集中していたし。

 

 

それどころか

 

僕はセリフをしゃべると、歩くことすらできなかった。

 

(実話です)

 

しゃべる、動く、の両立ができなかったのだ。

 

世の中を見渡しても

 

どんな新人さんだろうがそんなレベルの人はいない。

 

未だかつて見たことない。

 

 

ってことはだよ

 

“稀代の”という言葉が大袈裟ではないくらい

 

「動けない俳優」だった。

 

(昨日は「マグロ男優」って言ってたな?)

 

 

あんな不出来な役者が

 

よくぞここまで続けられたものだと

 

自分で自分を褒めてあげたい。

 

 

「ミザンス決め」「動線決め」

 

それは例えるなら

 

将棋やチェスのような感覚で

 

何手か先まで読んでいく作業に近い。

 

そして、それは難解だけど楽しい作業だ。

 

 

なにせ、セリフをしゃべることが嫌いな俳優なので

 

演技することに関しては

 

いまだに苦手意識が払拭できないけど

 

(……なぜ芝居を続けてる?)

 

 

たった一つでも楽しいことが見つけられたことは

 

本当に良かったと思っている。

 

それがなければ、たぶん芝居を続けられなかった。

 

 

我ながら思う。

 

こんな変わった舞台俳優、そうそういないだろうなぁ

 

ま、舞台なんてね

 

いろんな人がいていいんですよ

 

きっと。

 

 

 

 

 

では、また。