ども、ちがう意味でGWに備える岡田達也です。
昨日のつづき。
*
パチンコで8万円負けたという常連のおばさまに泣きつかれた
父・隆夫さん(87)。
隆夫さんは優しいのだろう。
そのおばさまを憐れんで、胸を痛めたようだ。
その様子を、事細かに、ものまねをしながら、僕に報告してくれた。
「夕方になって「岡田さん、8万円負けました」って、肩を落として、涙をボロボロこぼしながら言ってきてなぁ」
「へぇ」
「涙を流してなぁ」
「そう」
「ボロボロ泣きながらなぁ」
「で、その人になんて言ってあげたの?」
「かわいそうで、かわいそうで、かける言葉もなくてなぁ」
「だったら「勝つまで突っ込みなさい」って言ってあげれば良かったのに(笑)」
「そんな無責任なこと言えんわいな!」
「そう?」
「言えん!」
「だって、打つも、やめるも、その人自身の意志じゃない?」
「……」
*
話を聞かされた僕は
「8万円負けるなんてかわいそうに」
とは思った。
庶民が負ける額としては目も当てられないほど大きいから。
だけど「自業自得だ」とも思った。
そりゃそうだ。
誰かに頼まれたわけでもない。
その人が好きで打った結果なのだ。
8万勝とうが、8万負けようが、すべては時の運。
(もちろん技術介入の部分も多少なりともあるけど)
それがギャンブル。
それに、僕にとってはしょせん他人事である。
*
「だけどなぁ!」
「?」
「800回以上回して当たらんなんてなぁ!」
「そうね」
「1/319だで!」
「大ハマりする日もあるよ」
「その人は車で来とるけど、帰り道、事故にあっとるんじゃないかって心配で心配でなぁ」
「あ、そう」
「そうだ!」
「……」
「……」
「あのさーー」
「なんだ!」
「たぶんだけど」
「なんだ?」
「その人、明日も打ちに来るよ」
「……えっ?」
「来るよ」
「……」
「絶対に来るよ」
「そ、そうか?」
「うん」
「……」
「そういう人は、必ず取り返しに来る」
「……」
「で、同じ台に座る」
「……」
多くのダメ人間、
あるいは
心の弱い人間、
あるいは
自己都合を優先する人間はこう考える。
「これだけ突っ込んだんだから、その後は必ず爆発する」
「確率が下振れしたら、次は上振れするしかないはずだ」と。
(※ パチンコやスロットの世界では、大当たり確率以上回しても当たらないことを「下振れ」、それ以内で当たるなら「上振れ」と呼びます。だけど、これこそが確率の本質から逸脱した考えなのです)
白状する。
これは、
僕自身が、
何度も大負けをするたび、
この根拠のないオカルト理論にすがりついて、
さらにお札を突っ込んでいった苦い(痛い)経験があって書いてる言葉だ。
けっして机上の空論などではない。
なぁ
パチンコで身を削った同志たちよ
「パチンコさえやってなければ、俺、今頃BMWに乗ってるよ」という同志たちよ
俺の言ってることは間違ってるかい?
間違ってるどころか
今ごろ泣きながら頷いてるんじゃないのか?
胸を手で押さえながら「アイタタタタ」とか言ってるんじゃないのか?
「達也さん、あんたに一生ついていきます」とか思ってるんじゃないのか?
そうだろ?
白状して楽になりなよ……
*
昨日
帰宅してきた隆夫さんは
「ただいま」の挨拶もそこそこに
驚いた顔で僕に報告してきた。
「あの8万円負けた女性なぁ!」
「?」
「朝一で来たわ!」
「でしょ?」
「で、昨日と同じ台を打ってなぁ!」
「でしょ?」
「しばらく頑張っとったけど、出んかったけすぐにやめて帰ったわ!」
「そう」
隆夫さんは
驚いたように、そして感心したようにつぶやいた。
「来たなぁ」
*
「確率」
それは確かなもののはずだけど
人の心が加わると
不確かなものに変化する
不思議な数字なのだ。
では、また。
追伸
明日からの3日間
もしも更新がなくても私は生きていますのでご心配なく。
お休みするか、午後の更新になるかは、そのときの状況によります。
ご理解ください。