ども、ヘルメットを取って走ってみたいと思ったけどヘルメットを被る機会がない岡田達也です。

 

 

 

 

 

昨日のつづき……

 

というか、麻雀の徒然なる話。

 

 

 *

 

 

高校時代

 

クラスメイトの森くんに麻雀を教わった。

 

 

森くんは成績優秀で先生方からの信頼も厚く

 

「彼から教わるなら問題ないだろう」

 

という言い訳を用意して教えてもらったのだがーー

 

 

昨日

 

あまり明確に書かなかったけど

 

なぜそこまで麻雀を教わることに抵抗があったかというと

 

その時代

 

“麻雀は賭博の代表格であったこと”

 

そしてもう一つ

 

これが大問題だったのだけど

 

“我が父・隆夫さん(87)が大の麻雀好きだったこと”

 

この理由が大きかった。

 

 

ここから遡ること10年ほど前

 

僕は小学生の低学年だった。

 

(念のために書いておきますが、ここから先の話は昭和50年代前半の話です。現代においては不適切な行動、発言が多発します。それをご理解の上お読みください。)

 

 

母・秀子さんはバリバリの看護婦さん(当時の表記です)で

 

フル回転で働いていた。

 

9時~17時までの日勤

 

17時~25時までの準夜勤

 

そして25時~朝8時までの深夜勤

 

この三つの勤務時間の交代制で働いていた。

 

 

深夜勤のときは

 

家で夕食を済ませたり

 

あるいは夕食の準備だけして

 

19~20時の間に病院に向かい

 

仮眠してから勤務するのが常だった。

 

 

賢明な読者のみなさんならピンと来るだろう。

 

この、秀子さんの、

 

早めの出勤は、

 

隆夫さんにとっては、大チャンスだった。

 

 

ある日

 

秀子さんは隆夫さんに言った。

 

「お父さん、今日はご飯用意してないから、たっちゃんに食べさせてね」

 

「わかっとる、わかっとる」

 

「じゃ、行ってきます」

 

そう言って秀子さんは病院に向かった。

 

 

数分後

 

隆夫さんは僕に言った。

 

「じゃ、出かけようか」

 

 

この場合

 

普通に考えて

 

晩飯を食べに行くと思うだろう。

 

 

この男、そんな玉じゃない。

 

 

タクシーが着いた先は

 

繁華街のはずれにある古びた雀荘だった。

 

 

レストランでも食堂でもない

 

「○○荘」という雀荘に

 

(当時、もちろん僕は「雀荘」を理解していなかったが)

 

隆夫さんは入り

 

僕も後に付いて入った。

 

 

 

 

 

つづく