ども、コロッケ爆弾と呼んでいた岡田達也です。

 

 

 

 

 

昨日

 

無事に叔母をお見送りしてきました。

 

 

 *

 

 

たくさんの温かいお言葉

 

本当にありがとうございました。

 

 

もちろん吉恵さんは『達也汁』の存在など知りませんが

 

僕の演劇活動を応援してくれていた人なので

 

みなさんの言葉もきっと届くと思います。

 

 

で、

 

こういう言い方は不謹慎なのかもしれませんがーー

 

お別れする寂しさはほんの少しだけあるものの

 

それよりも

 

92歳まで生きたことに対する感心が大きく

 

僕は「あっぱれ!」と心の中で声をかけて見送りました。

 

 

望まない病気で亡くなる人や

 

不慮の事故で亡くなる人など

 

世の中には若くして命を失う方がたくさんいて

 

そんな中

 

92歳まで生きられたことは

 

間違いなく人間としての寿命を全うできたんじゃないかと思うのです。

 

(91歳だと思っていましたが、それは僕の勘違いで、今月、誕生日を迎えていたそうです)

 

 

数ヶ月前

 

一緒に焼き肉を食べたときも

 

大好きなぬる燗を飲み、歯応えのある上ミノを食べながら

 

「私は今でも自分の歯だけなぁ。多鶴子はとっくに入れ歯だけどなぁ。わっははは(笑)」

 

と、入れ歯ではないことを僕に自慢していたくらいなので

 

頑丈な人だったことは間違いありません。


 

大人数の姉妹の長女という立場も

 

「私がしっかりしなければ」

 

という“良い意味での気持ちの張り”を常に持たせる要因だったようです。

 

なんせ昭和6年生まれですからね。

 

今の時代と違って背負ってるものが大きかったんでしょう。

 

父・隆夫さん、妹・多鶴子さんだけでなく

 

他の姉妹たちも吉恵さんには大変お世話になり

 

頭が上がらなかったそうです。

 

 

吉恵さんには子供がいなかったので

 

甥っ子や姪っ子たちも可愛がってもらいました。

 

僕もその一人ですが

 

叔母の愛情が重すぎるときも多々あって……

 

 

 *

 

 

吉恵さんは“振る舞いたがり”の人です。

 

 

例えば

 

家に遊びに行くといろいろ持たされます。

 

 

……

 

……

 

言葉が悪いですね

 

たくさんのお土産を渡されます。

 

 

定番は『神戸・三田牛の冷凍コロッケ』です。

 

これ、めっちゃ美味しいんですけど

 

「たっちゃん、これくらいあればええか?」

 

といって36個のコロッケを持たされそうになったときは困りました。

 

 

……おばちゃん

 

……うち、洋食屋じゃないんだよ

 

 

そりゃありがたいですよ

 

コロッケ好きですし

 

だけど我が家の冷蔵庫はけっして大きくないんです。

 

300Lほどの容量しかないのです。

 

「そんなにいらない、6個で十分!」と言って粘るのですが

 

結局、24個あたりで折り合いが付きます。

 

完全に僕の負けです。

 

 

次に強敵なのが『稲庭うどん』です。
 

「たっちゃん、稲庭うどん好きだもんな?」

 

と言いながら2箱渡してきます。

 

 

もちろん嫌いではありません。

 

が、好きだと言ったこともありません。

 

 

前回遊びに行ったときに僕が持ち帰った(持ち帰らされた)事実だけを覚えていて

 

叔母の記憶の中で若干の修正が加わり

 

「達也は稲庭うどんが好き」

 

となってるのです。

 

 

……おばちゃん

 

……うち、うどん屋じゃないんだよ

 

 

結局

 

うどん屋は開けないものの

 

ギャル曽根ちゃんが満足するくらいの量を持ち帰ってました。

 

 

 *

 

 

一事が万事で

 

僕は分け与えられてばかりだったので

 

何もお返しすることもできずにいたのですが

 

昨日、喪主という役目を務めることができたのは

 

ほんの少しだけどお返しできたのかもしれません。

 

いや、勝手にそう思っておきます。

 

 

おばちゃん

 

またね

 

僕がそっちへ行ったら、また一緒に酒を飲み、焼き肉を食べよう

 

 

あ、

 

もうコロッケはいらないからね

 

 

 

 

 

では、また。