ども、準備万端の岡田達也です。

 

 

 

 

母・秀子さんが存命のときは

 

毎年毎年、年末になると

 

一緒におせち料理を作って楽しんでいた。

 

 

面白いのが


いつ頃からか秀子さんは

 

おせちメニューを勝手にアレンジしていた。

 

「お父さんは海老のつや煮が嫌いだからエビフライにしよう」

 

「あ、海老の頭もあると嫌がるから取ってしまって」

 

と、すっかり割り切るようになった。

 

 

……有頭海老の煮物がエビフライだと?

 

最初は「なんと大胆な変更なんだ」と驚いた。

 

 

しかし、とも思う。

 

隆夫さんは煮物が嫌いだし

 

「おせちは食べる物がないなぁ」

 

が口癖のくせに

 

「今年はおせちはどうするだ?」

 

と、好きでもないおせちが気になって気になってしょうがない

 

とても面倒な人でもある。

 

 

だから

 

「残されたくない」「美味しく食べてもらいたい」

 

という

 

家庭の食卓を預かる側の永遠のテーマを持つ

 

秀子さんの気持ちはとても理解できた。

 

だから僕も共犯者となってエビフライを揚げていた。

 

 

 *

 

 

秀子さんは毎年

 

大晦日の夜

 

「私、夕飯食べたらお腹いっぱいで。もう、おそばは食べられないわ」

 

とも言っていた。

 

 

おかあさん

 

当たり前です

 

あなたはギャル曽根ちゃんじゃないのですよ

 

普通に夕食食べて「さぁ、続いては年越しそばよ!」とか言い出したら、俺が引くわ……

 

 

それに

 

僕は、食べ物に関しては“いつだってひたすら美味しく食べたい”と思ってるので

 

「行事だからと言って絶対に年越しそばを食べなきゃならない」

 

という考えには賛同できない。

 

普通の胃袋を持った人がどうしても年越しそばを食べたいなら

 

夕食自体をそばにすればいい。

 

 

だから二人で後片付けをしながら、いつもこんな会話をしていた。

 

「俺もお腹いっぱいだし、そばはやめておこうよ。年明けのどこかで食べればいいじゃない」

 

「そうね、そうしよう」

 

それでは「年越しそば」ではなく「年明けそば」になってしまうが

 

美味しく食べられる方が僕にとっての優先事項だ。

 

 

ところがーー

 

ここで

 

父・隆夫さんが

 

必ず、必ず、こう言いだす。

 

「年越しそばはどうする?」

 

 

この場合の「どうする?」っていうのは

 

「食べる?」「やめておく?」という選択ではない。

 

食べることは大前提での発言だ。

 

つまり

 

こちらの返答は「何時くらいに食べたいの?」しかない。

 

 

と、

 

必ず、必ず

 

「9時くらいでええで」

 

という返事が返ってくる。

 

 

そして僕と秀子さんは

 

苦笑いしながらそばの準備を始めるーー

 

というのが、我が家の大晦日に繰り返されていた出来事だ。

 

 

 *

 

 

この“食べるという行為に異常に執着が強い”という理由で

 

欠かさず行事食を求める父親のおかげで

 

僕は、どんどん、

 

おせちからも、年越しそばからも

 

気持ちが離れて行ってしまった。

 

 

今年はは初めてイオンのおせちを頼んでみた。

 

「大晦日はそばにします」とあらかじめ宣言もしておいた。

 

打てる手は打った。

 

 

もしもこれで文句を言われたら

 

この先岡田家からは、

 

おせちも、年越しそばも消滅するかもしれません。

 

 

 

 

では、また。