ども、若輩者の岡田達也です。
一昨日の日曜日
鳥取県西部地方の学校に呼ばれ
現役高校生たちとくんずほぐれつのワークショップをやり
昨日の月曜日
台風14号が鳥取県に接近していたので
本来ならば一日かけてやるはずだったところを短縮して
午前中だけ『達の穴』を開催し
午後は強風の中、なんとか飛ばされないで鳥取市に戻ってきた。
* * *
そんな昨日は『敬老の日』。
我が家には、後期高齢者である父・隆夫さん(87)がいる。
自分自身を振り返ってみれば
毎日、毎日、この人の言動をあげつらってばかりで
尊敬の念が足りないんじゃないのか?
まずは肉親であるこの人を敬うことこそ最優先じゃないのだろうか?
それができなければ
その他の老人の方々を敬うことなんてできないのではないか?
……うん
……まずはそこからだ
心を入れ替えた僕は
「せめて大好きなお寿司を食べさせてあげよう!」
と考え、昨日の夜は『はま寿司』をテイクアウトした。
(諸事情により今は『スシロー』から『はま寿司』に浮気しております)
「敬老の日、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「これからも長生きしてください」
「いや~」
「?」
「もうええわ!」
「えっ?」
「もう、そんなに生きんでも」
ドキドキしながら尋ねてみた。
「あと何年生きるの?」
「そうだなぁ」
「……」
「あと1年だろうやぁ」
おおっ!
おおっ!
常套句だった「あと2年」が
いつの間にやら「あと2~3年」に延長されていたのに
「あと1年」なんて!
初めて短縮されたぞっ!!!!!
「あと1年????」
「うん、まぁ、なぁ、そんくらいだろうやぁ」
親の寿命が縮まって喜ぶバカはいない。
だが、
自分の寿命は「あと2年」と毎年言い続け
揚げ句「あと2~3年」とプラス1年されたときは
「……一体どこまで伸びるんだ?」
と心配していた身からすると
ようやくカウントダウンが始まったんだ、と胸をなでおろした。
……おろしてしまった。
*
敬老の日とは、読んで字のごとく“老人を敬う”日だ。
「長く(永く)生きている」
それだけで十分に価値があることだとは思う。
思う
思うよ
本当にそう思ってるけど……
胸をなでおろしてしまった自分は
敬いの気持ちが足りないのでしょうか??
若者たちよ、私が老人になったら敬ってくれよ
約束だぞ
では、また。