ども、塩たたきよりもポン酢で食べるのが好きな岡田達也です。

 

 

 

 

 

昨日のつづき。

 

 

 * * *

 

 

何度か、

 

いやいや「何度も」と言った方が正しいかもしれない。

 

僕はご縁があって「坂本龍馬役」を、舞台上でたくさんたくさん演じさせてもらった。

 

 

あの、坂本龍馬だ。

 

日本を洗濯ようとした男である。

 

 

と言っても、

 

僕は龍さんに会ったこともないし

 

(当たり前だ。会ってたらいろんな意味で恐ろしいわ)

 

 

残された写真を見たくらいだし

 

(おでこの広さ加減はよく似てると思うんだけどな)

 

 

『竜馬がゆく』を何度も読んで「すげーっ!」って思ったけど、

 

その後、あの話は竜馬ファンの司馬遼太郎先生がずいぶん盛って書いたという噂も聞くし

 

(真相は誰にもわからないですよ)

 


高知でカツオのたたきを食べたけど

 

(それは役作りではない)

 

 

だからと言って彼に近付けたとは思ってない。

 

(……おまえ大丈夫か?)

 

 

世の中に「坂本龍馬ファン」は数えきれないくらいいるだろう。

 

しかも「熱狂的」と言っていい人もたくさんいる。

 

そんな方たちを満足させることができる俳優なんて、そうそういないんじゃないか?

 

と、思う。

 

(開き直ってるわけではありません。本心です)

 

 

「坂本龍馬役」なんて

 

舞台に限らず、テレビドラマでも、映画でも、

 

それこそ数えきれないくらいの俳優さんが演じてきたし

 

それが、観ている人に、ヒットする場合も、はずれる場合も、きっとある。

 

 

“人が抱くイメージ”というのは

 

人の数だけあるのだから

 

“すべての人のど真ん中に球を投げること”は不可能で

 

なんだけど

 

“許容範囲(ストライクゾーン)に収まるくらいのコントロール”で演じることができれば

 

それで十分なんじゃないだろうか?

 

と思う。

 

 

甘い考えかもしれない。

 

「突き詰めろよ」と怒られるかもしれない。

 

 

だけど、

 

“生身の人間が演じるからこその余白”だったり

 

“生身の人間が演じるからこそ通るフィルター”があるからこそ

 

同じ人物を演じていても俳優によって違いが出てくるのだし

 

それこそが面白さに繋がると僕は信じている。

 

 

 * *

 

 

この三日間

 

「何を訳の分からん話を書いとるのだ?」と思われた方、すみません。

 

なんかね、書いておきたかったんです。

 

 

僕は、今、秋先生を演じていて、楽しいのです。

 

秋先生ならどう考えてるんだろう?

 

これは何を思って発言しているんだろう?

 

この解釈は違うかな?

 

そんなことを思いながら、想像しながら、演じてることが。

 

 

だからみなさんのイメージと違ったらごめんなさい。

 

でもね、

 

秋先生にも、

 

その生みの親である辻村先生にも敬意を持って演じてることだけは信じてください。

 

 

 

 

 

では、また。

 

 

 

 

 

追伸

 

 

 

明日、新潟入りします。

 

 

 

 

昨日、スペースに参加いただいたみなさま、ありがとうございました!