ども、最後の晩ごはんを考え中の岡田達也です。

 

 

 

 

 

2017年に、母・秀子さんが他界した。

 

そのとき、父・隆夫さんはこう発言した。

 

「お父さんも、あと2年だろうやぁ」

 

 

しかしーー

 

幸か不幸か4年が過ぎた今でもピンピンしている。

 

 

そして

 

なにより不思議なのは

 

「お父さんも、あと2年だろうやぁ」というセリフが

 

一言一句変わることなく

 

毎月毎月、毎年毎年、発言されているという事実。

 

……

 

……

 

 

なぜだ?

 

なぜ、カウントダウンが始まらないのだ?

 

なぜ、その数字は更新され続けているのだ?

 

寿命って希望すれば2年ごとに伸ばせるものなのか?

 

家賃か?

 

あんたの寿命は賃貸の契約なのか?

 

 

 *

 


毎晩、一合ちかい米を喰らい、酒を飲み、好きなおかずをたらふく食べている父の姿を見ながら

 

誕生日を迎えた僕は思った。

 

「……54歳ってそこそこ大人だとは思うし、平均寿命から考えれば人生の折り返し地点はとっくに過ぎている年齢だけど、“自分はまだまだ若者であって先は長い”と思っていなければ、この人の更新され続ける寿命に負けてしまうのではないか?」

 

「万に一つでも、自分が先に寿命を迎えるなんてことがあってはならない」

 

「気合を入れろ、自分」

 

「それから」

 

「隆夫さんに“永遠の生は存在しない”ということを理解してもらわなければ」

 

「人はいつか死ぬのだ」

 

「そこだけは平等なんだから」

 

「それは、人生のすべてを看護の仕事に捧げた母が常に言ってたことじゃないか」

 

 

 *

 

 

「お父さんーー」

 

「なんだ?」

 

「死ぬ前に食べたい物ってある?」

 

「あぁ、最後の晩餐ってやつか?」

 

「そうね」

 

「う~ん」

 

「……」

 

「そうだなぁ」

 

「……」

 

「ちょっと待てよ……」

 

隆夫さんは、藤井聡太5冠のように長考に入った。

 

 

お父さん

 

そんなに真剣に考えなくても大丈夫です

 

大事なのは「最後の晩餐が近づいているということを自覚すること」なんです

 

 

「一晩考えておくわ」

 

「……うん」

 

 

 *

 

 

翌朝

 

テーブルに一枚のメモが置いてあった。

 

 

 

どこまでも、貪欲に、自分の欲求を追い求める父の姿勢に

 

僕はなぜだか敗北感を覚えた。

 

どうやら僕の目的は果たせなかったらしい。

 

つ~か、「ジ・エンド前」ってなんだよ……

 

 

一般論だけど

 

食欲がある人

 

あるいは食事に興味がある人っていうのは元気な証拠なんだろう。

 

 

 

 

 

では、また。


 

 

 

追伸

 

たくさんのお祝いメッセージ、コメント、メール、ライン、ameba応援をいただきました。

 

本当に本当にありがとうございます。

 

私は幸せ者です。

 

 

それから、まだ個別で返信できてない俳優仲間のみなさん、申し訳ない。

 

というか、この日記、同業者の人たちがこんなに読んでくれてるんだと驚きました。

 

これまたありがたいことです。

 

演劇に繋がることなど何一つ書いてなくて申し訳ない。