ども、キャッチボールがしたいけど相手がいない岡田達也です。
子供の頃から野球を見るのが好きだった。
プロ野球も好きだし、高校野球も好きだった。
ついでに『プロ野球スナック』も好きだった。
(……こいつは必要ない情報だな)
で。
子供心に不思議だったのが
「なぜ、甲子園に登場する学校には“エースで4番”がたくさん存在するのに、プロ野球にはいないのだろう?」
ってこと。
僕は野球部じゃなかったので、詳しいことはわからない。
だけど大人になるにつれ
“どうやらプロに進むと、投打のどちらかに専念しなければならないらしい”
ということが理解できるようになった。
例えばーー
僕が見ていた世代で言うなら
報徳学園の金村選手。
彼はエースで4番として甲子園で活躍
その後、阪急と近鉄から投手としてドラフト1位で指名
くじ引きの結果、近鉄が交渉権を獲得
そして入団した直後に内野手に転向
長くプロの世界で活躍した。
「あぁ、そうなんだ。やっぱりどちらか一方を選ばなけらばダメなんだ。プロ野球ってのは、それぐらいレベルの高い世界なんだ」
一応、納得はした。
*
だけど
それから数十年後
大谷翔平選手が登場した。
高校野球での二刀流はまだしも
プロ入りした後も、当時の監督だった栗山さんは二刀流での活動を許した。
それからの活躍はみんなが知ってる通り。
大谷選手は
おそらく、
誰一人して、
想像してなかったであろう、
メジャーでのMVPを獲得した。
* *
大谷選手より一足先にメジャーで大活躍したイチロー選手。
彼は1992年、2軍で首位打者を獲得
翌1993年も、規定打席には届かなかったけど、素晴らしい打率を残していた。
しかし、当時の首脳陣の「このフォームでは1軍では通用しない」の一言によって
彼は1軍で活躍の場を与えられなかった。
ところが
翌年、チームの監督に就任した名将・仰木さんに出会ってすべてが変わった。
仰木監督は「イチローのフォームをいじるな」とコーチに厳命し
「鈴木一郎」の登録名を「イチロー」に変え
彼の活躍できる場を、大きく切り開いた。
*
もちろん、本人たちの努力があってこその活躍だということは重々承知の上で……
仰木さんや、栗山さんのような
「それはダメだ」や
「前例がないから無理」ではなく
「それでいってみよう」という
ポジティブな思考の持ち主
あるいは懐の深い指導者に出会えたことが
二人の大活躍に繋がったのも事実だと思う。
* *
僕は演出家でもないし、指導者でもないけど
こうやって歳を取って
若い人たちと
演劇によってつながる機会をもらえるようになったわけだから
頭でっかちになって「ダメだ」を押し付けるのではなく
いつだって「伸びる可能性」を模索できる人でありたいと思う。
*
大谷選手
MVP受賞おめでとう!
うちの叔母・多鶴子さんがどれほど喜んでいたか。
その話は、また明日。
あぁ
広い公園でキャッチボールやりたい……
では、また。