ども、百恵ファンではなかったけど名曲が多いと思う岡田達也です。

 

 

 

 

 

山口百恵さんの歌に

『ありがとう あなた』

という名曲がある。

 

サビの部分の歌詞は

「あとどのくらい愛されますか あとどのくらい生きられますか」

という

 

おそらくは

間もなく死を迎えるであろう女性の心情を歌った曲。

 

 

僕みたいに

自分のことをまだまだ元気だと思っている人間でも

さすがに50年以上生きてるわけだから

自分の寿命については以前より真剣に考えるようになった。

 

 

“あとどのくらい生きられるのか?”

 

それは

年齢を重ねれば

誰もが考える

悩ましい問題だ。

 

僕の場合

20代では考えてなかったし

30代でも現実味がなかったし

40代でようやくといったところだ。

 

 

 *

 

 

先日

叔母・吉恵さんの家にDVDを届けに行ったときのこと。

 

一緒に食事をするために

近所の行きつけのお店に向かって歩いていた。

 

その道中

吉恵さんは僕にこうボヤいた。

 

「私ももう91だけなぁ、生きとるのがえ~らいだが」

 

「いやいや、元気そうに見えるけど」

 

 

けっしてお世辞ではない。

とても元気そうだ。

 

 

「歩くのが大変でなぁ」

 

「うんうん」

 

「普段、買い物に行くときは杖をつきながらでないとダメでなぁ」

 

 

僕なんかは

“もう十分高齢なのだから杖を使えばいい”

と思ってしまうのだが。

 

どうも

昭和初期生まれの中には

「杖をつくのは年寄りに見えてイヤだ」

という方が多い。

 

父・隆夫さん(86)もそうで

「杖をつくようになったら、家から一歩も出ん!」

と宣言している。

 

後期高齢者のプライドの高さは

富士山級である。

 

 

「いいじゃない、杖、使えば。杖をついて歩くのは悪いことじゃないと思うよ」

 

「情けないが、杖つかんと歩けんなんて」

 

「それに、今は杖を使ってなくてもこうして歩けてるし」

 

「今は近所だけなぁ(無くても大丈夫)」

 

「転ばぬ先の杖って言葉もあるくらいだから、用心のためでもあるし」

 

「でもなぁ、杖がないと歩けんなんて」

 

「だから、こけたりしないためにも杖があった方がーー」

 

「杖がないとダメなんてなぁ」

 

「でもね、前に、杖がなくて転んでケガしたでしょ?」

 

「杖がなぁ」

 

「……」

 

 

人の話を聞かないのも

後期高齢者の大きな特徴だと思う。

 

 

「もう、いつお迎えが来てもおかしくないでなぁ」

 

「うんうん」

 

 

それは否定しない。

だって91年も生きてるんだし。

 

 

「だけなぁ、今、毎日、神さまにお願いしとるだが」

 

「何を?」

 

 

勝手な想像だけどーー

 

もしも自分がその年齢で神さまにお願いをするとしたら

「病気になって長引くのではなく、コロッと死ねますように」

とかだろうか?

 

都合が良いかもしれないけど

そう願う人は多いんじゃないかな……

 

 

「「神さま、どうかあと2年生きさせてください!」って」

 

「あと2年?」

 

「そう!」

 

「……けっこう長いな」

 

「2年くらいいるわいな!」

 

「その2年で何をするの?」

 

「お墓の始末したり、家のことを始末したり」

 

「……」

 

 

後片付けは大事だと思う。

 

だけどーー

 

吉恵おばちゃん

おそらく本気出してやれば3日もあれば済む内容だと思うよ

どんなに長くても一ヶ月あれば十分じゃないかな?

 

 

「だけなぁ、「せめてあと2年生きさせてください!」って毎日お願いしとる」

 

 

誤解してほしくないがーー

 

僕は叔母に長生きしてほしいとは思っている。

 

思ってはいるけど

 

どうにも叔母の発言に違和感を感じる。

 

そう、「違和感」だ。

 

まちがいない。

 

 

そういえば

この違和感

どこかでも感じたことがあるな……

 

……

 

……

 

あっ!

 

そうだ!

 

母・秀子さんが亡くなったとき

隆夫さんがこう言っていた。

 

「私も長くてあと2年だけなぁーー」

 

 

 

 

 

つづく




追伸


9月23日です!