ども、新劇俳優になっていたかもしれない岡田達也です。

 

 

 

 

 

昨日

 

文学座の浅野さんの話を書いていて思い出したこと。

 

 

僕も

 

もしかしたら

 

文学座の座員になっていたかも

 

……というお話。

 

 

 * *

 

 

大阪芸術大学を卒業した僕は

 

「俳優になる」という大義名分で

 

念願の大都会・東京にやってきた。

 

とりあえずのアルバイト先を見つけ

 

従兄の家に転がり込んで

 

生活の拠点はできた。

 

 

本当は

 

これだけで良かった。

 

ここから1~2年ほど

 

念願の東京生活を満喫したら

 

鳥取に帰ってサラリーマンになろうと思っていた。

 

 

しかしーー

 

それでは

 

「岡田くん、役者になってみない?」

 

と、言ってくれた恩師の高木先生を裏切るような気がしたのだ。

 

せめて、少しだけでもいいから

 

“俳優になる努力をしたけどダメだった”にならなければ

 

生涯、先生に対して後ろめたい気持ちのままになってしまうし

 

 

それに

 

努力したところでどうせ役者になんてなれるわけないのだから

 

「やるだけやったけどダメでした」

 

という形跡を残そうと考えた。

 

 

だが、

 

その方法がまったく浮かばなかった。

 

悲しいくらい思いつかなかった。

 

あたりまえだ。

 

何の興味も知識もない世界の

 

どこに入り口があるのかなんて知るわけない。

 

 

……

 

……

 

あっ

 

そうだ

 

「文学座」って聞いたことがあるぞ

 

確か、ラガー刑事(渡辺徹さん)がそこの出身で

 

まずはそこの研究所に入って

 

そこから俳優になったってテレビで言ってた気がする……

 

 

その薄ぼんやりとした曖昧な記憶を頼りに

 

僕は文学座を調べ

 

(今みたいにネットが無いので、知らない世界を調べるのは時間がかかったものです)

 

研究所の存在を確認し

 

「あったあった! これこれ! これはひょっとしてひょっとするとホントに役者になっちゃうかもよ」

 

なんてアホなことを考えて資料を取り寄せた。

 

 

しかし

 

残念なことに

 

入所するのにはお金が必要だった。

 

正確には覚えてないけど

 

確か、年間で30万円ほど必要だった気がする。

 

 

そりゃそうだ

 

文学座さんだって慈善事業をやっているわけじゃない。

 

 

ただ

 

当時の僕にとって30万円という金額は

 

感覚的には300万円といったところで

 

 

「じゃ、貯金を始めよう!」とか前向きになれればいいのに

 

そういう計画性は皆無で

 

「文学座や~めた」と

 

2秒であきらめて、資料をゴミ箱に捨ててしまった。

 

 

 * *

 

 

もしもあのとき

 

1年働いてお金を貯めて

 

翌年、文学座を受けていたら

 

また違った人生を歩んでいたのかもしれない。

 

 

……なんてことはないか

 

 

 

人生の分岐点って

 

意外とたくさんあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

では、また。