ども、抹茶は大好きな岡田達也です。

 

 

 

 

 

昨日に続いて母・秀子さんの話をもう一つ。

 

 

 *

 

 

秀子さんは、絶対に“前に出ることのない人”だった。

 

とにかく目立つことを嫌い

 

息子のひいき目かもしれないけど

まるで「慎ましやかにあれ」と自分に言い聞かせながら生きてるような人で

 

常に心配事の優先順位は

親、兄妹、友人、患者さん、そして家族に置き

 

いつだって自分のことは後回しにして考え、行動する人だった。

 

 

かと言ってーー

 

自分のことは何もしなかったかというとそうではなく

とんでもなく多趣味な人だった。

 

 

書物も幅広く読み

(特に向田邦子さんと、瀬戸内寂聴さん信者でした)

 

園芸も大好きで

(我が家の小さな庭は母の趣味で庭園風に造られています)

 

切手をコレクションし

(昭和は流行っていたんですよね)

 

習い事は

茶道

華道

ペン習字

エレクトーン

機織り

(「はたおり」と読みます)

と多岐に渡った。

 

 

ここで、ようやく本題。

 

 

 *

 

 

他の習い事はそんなことなかったけど

 

唯一、茶道だけは僕も道連れにされた。

 

というのも

母がお茶を習っていたのは僕が5歳の頃で

 

そのころ父・隆夫さんとは別居していたため

僕を1人にするわけにもいかず

仕方なく教室に連れていってたのだ。

 

 

「茶道教室」である。

 

「茶の道」である。

 

湯を沸かし、茶を点て、振る舞う

 

その道を突き詰めていくと何が待ってるのか?

 

どういう精神世界が広がっていくのか?

 

ひょっとすると、みんなみんな千利休になれるのか?

 

今もって僕はわからないままだが

 

一つだけ言えることがある。

 

 

 *

 

 

5歳の子供が

長時間、正座して

「足、しびれ始めたんですけど……」ってな頃にお茶を出されて

 

見よう見まねで茶碗を回し

飲みたくもないやたらと苦い抹茶を飲み

「結構なお点前です」と口にしていたのは

 

実際のところ苦痛でしかなく

 

“お茶を飲んだ後に振る舞われる和菓子が食べたい!”

という目的があったから踏ん張れたものの

 

あの和菓子がなかったら

僕の茶の道はとっくに閉ざされていたと思われる。

 

 

 *

 

 

お母さん

 

今だから言いますが

5歳の子供に茶道は険しいものでした。

 

足はしびれるわ

お茶は苦いわ

ジッとしてなきゃいけないわ

 

そりゃ苦痛ですよ。

 

 

もしもあのとき

「これだ!」と思えるものを僕が掴んでいたら

その後の人生も違ったのでしょうか?

 

お母さんは茶道を習うことで何を掴んだのですか?

 

もっと茶道について語っておけば良かったと後悔しています。

 

 

明日は機織りの話を。

 

 

 

 

 

では、また。