ども、留学経験のない岡田達也です。

 

 

 

 

 

僕の叔母に「多鶴子さん(齢80)」という人がいる。

 

この日記に何度か登場しているので、覚えている方もいらっしゃるかもしれない。

 

この叔母、一言で言えば、強者(ツワモノ)だ。

 

 

昨日、久しぶりに夕食を共にすることになった。

 

“多鶴子節”は全開だった。

 

 

 *

 

 

多鶴子さんお気に入りの小汚い焼き肉店

 

煙がモクモクと立ち込める中

店内の脂まみれになったテレビには

大相撲11月場所の千穐楽が映し出されていた。

 

優勝争いをしているのは

大関・貴景勝と小結・照ノ富士の2人。

 

照ノ富士関はモンゴル出身。

 

横綱・白鵬の父親にスカウトされ

鳥取市にある城北高校に相撲留学でやってきて、その後角界に入った。

 

つまり

鳥取には照ノ富士関のファンが多い。

 

 

 *

 

 

「照ノ富士、勝たんかな~」

 

「おばちゃん、照ノ富士を応援してるの?」

 

「そりゃそうだわいな。城北高校出身だで」

 

「まぁ、鳥取にはそういう人多いだろうな」

 

「しかもなぁ」

 

「なに?」

 

ここから叔母は

情感たっぷりに

芝居がかった口調で

熱く語り始めた。

 

「大関になったのに膝を痛めて序二段まで落ちてなぁ」

 

「知ってるよ」

 

「序二段だで、序二段!」

 

「知ってるって」

 

「もう、その頃はどん底で、気持ちも投げやりになってなぁ」

 

「詳しいね」

 

「ケガのリハビリももちろんだけど、その頃、糖尿病も患っててなぁ」

 

「……ホントに詳しいね」

 

「そのとき「あぁ、もうダメだ、俺は相撲をやめよう」って思ったのよ」

 

「……まるで本人が語ってるみたいだな」

 

「「あんなに好きだった相撲だけど、俺はもうダメだ」って」

 

「うんうん」

 

「「モンゴルに帰って仕事を探します」って言って」

 

「うんうん」

 

「そこで親方が「やめちゃダメだ!」って必死で説得してね」

 

「……熱演だね」

 

「でもね、照ノ富士はそこから帰ってきたのよ!」

 

「そうだね、幕内まで戻ったもんね」

 

「復活優勝したでしょ?」

 

「うん」

 

「だから私は応援しいてるのよ!」

 

 

そんな話をしているところで優勝決定戦が始まった。

 

残念ながら叔母の願いは届かず、貴景勝が優勝した。

 

多鶴子さんはあきらかにガッカリしていた。

 

 

「よっぽど痛かったんだね、照ノ富士……」

 

「……」

 

「膝が痛いから負けたのね照ノ富士」

 

「……」

 

「膝が万全だったら勝てたのに、照ノ富士」

 

「……あのね、おばちゃん」

 

「なに?」

 

「痛い、かゆいは、みんなが持ってるんだよ。どこも痛くない関取なんていないと思うよ」

 

「……」

 

「だから、そんな「たられば」を言い出したらキリがないでしょ」

 

「ちがうっ!」

 

「?」

 

「照ノ富士の膝が一番痛いの!」

 

「?」

 

「あんたにはわからんだろうけど、照ノ富士の痛みが一番強いのよ!」

 

 

くやしいがここで笑ってしまった。

 

この叔母と話していると、最後は必ず笑わされてしまう。

 

 

「あなたは母親か?」

 

「まぁ、心の中では照ノ富士は私の子供と言ってもいいわ」

 

「(笑)」

 

 

 

多鶴子さんの子供?

 

 

 

 

 

では、また。