ども、特別審査員の岡田達也です。

 

 

 

 

 

我が母校、鳥取工業高校にも演劇部があった。

 

正直に言うけど

当時の僕は演劇など、これっぽっちも興味はなく

 

いや、興味がないどころか

 

校舎の屋上で「アメンボ赤いなあいうえお!」と大声で発声練習しているみんなを見て、とても不思議に思い

 

「……そんなことして何がおもしろいんだ?」

と、演劇部員だった友人のHさんに尋ねた。

 

「芝居、やってみると楽しいよ」という答えだったけど

それを聞いてもピンとこなかったし

 

それどころか「芝居する」「演じる」なんて

おそろしく恥ずかしい行為のように感じられて

 

誘われてもないのに

「俺にはさっぱりわからん、一生無理だわ」

と、勝手に“役者お断り宣言”までぶちかましていた。

 

それくらい自分にとって、演劇は完全なる別世界だったのだ。

 

 

ところがその後、僕は縁あって(あるいは道を誤って)演劇の世界に進んだ。

 

結婚し岡山在住となったHさんが、大阪まで芝居を観に来てくれたとき

彼女は実に意地悪な顔をして

「岡田くん、一生芝居やらないって私に宣言してたよね?」

と言ってきた。

 

おそらく、当時の僕はイヤな言い方をしていたんだろう。

彼女はそれを忘れてなかったのだ。

 

僕は楽屋の面会場で平謝りするしかなかった。

 

 

……人生はわかならいものだ

 

 

ただ。

 

ぼんやりとした、何の確証もない思いだけどーー

 

もしも、僕が高校時代、演劇部に入っていたら、今でも芝居を続けていたんだろうか?

もしかすると、ある程度満足したところで、芝居から足を洗ってたんじゃないだろうか?

 

そんな気がしてる。

 

いやいや

そんなことは誰にもわからないし

「もしもあのときーー」なんて語りだしたらキリがないのはわかってるけど。

 

 

何事においても

出会うタイミングというのは

非常に重要なんだろうなぁ

 

ーーと思っている。

 

 

 * *

 

 

今日から鳥取県の米子市に行ってきます。

 

令和2年度 鳥取県高等学校総合文化祭

第48回 演劇発表会

 

こちらの審査員として呼んでいただきました。

 

 

 

35年前

「……そんなことして何がおもしろいんだ?」と発言していた男が

この年齢になって、演劇の審査員をやるなんて

Hさんが知ったら涙を流して笑うだろう。

 

そして彼女は言うはずだ。

「しっかりやんなさいよ」と。

 

 

せめて、高校生たちに「このおじさんの言ってることはさっぱりわからん」なんて思われないように頑張ります。

 

いや、頑張るのは高校生たちか……

 

 

このタイミングで僕と出会うことが

みんなにとって、どうかマイナスになりませんように

 

 

 

 

 

では、また。

 

 

 

 

追伸

 

というわけで、明日、明後日、日記をお休みします。