ども、おでんの出汁で煮込まれたい岡田達也です。

 

 

 

 

 

昨日、おでんのちくわぶが苦手だという話を書いた。

 

多くの方から「ちくわぶ、美味しいですよ」とのコメントをいただいた。

 

うんうん

そうなんでしょう

美味しいんでしょう

外せない一品なんでしょう

 

僕も“あの出会い”さえなければ、相思相愛になっていたかもしれないけど。

 

ファーストインプレッションがその後の関係を決定付けることがあったりするんですよ……

 

 *

 

この話も何度か書いてるけど、もう一度。

 

 *

 

大学を卒業し、東京に出てきたときのこと。

 

吉祥寺にある会社で働き始めた。

 

当時、お給料というのは振り込みではなく、茶色い給料袋に全額入れて渡されるのが普通だった。

 

「給料袋が立つようになったら一人前」と言われていた昭和の時代

 

吉祥寺の駅前には「昭和のシンボル」とも言える屋台が毎晩出ていた。

 

 

僕は、昔から“給料日に、屋台で、熱燗を飲みながら、おでんをつつく”という大人びた飲み方に憧れを抱いていた。

 

 

何回目かの給料日だったと思う。

 

いよいよそれを実行する日がやってきた。

 

 

そこで店主にすすめられたのが「ちくわぶ」だった。

 

 

鳥取では、おでんにちくわぶは入らない。

 

大阪の大学時代も知らなかった。

 

ひょっとすると西の食文化ではないのかもしれない。

 

だけどーー

 

おススメの一品を断るなんて野暮でしかないと考えていた僕は、迷うことなく「じゃぁ、お願いします」と言った。

 

ここで、僕は、大きなミスをする。

 

「ちくわぶ」という名前から、勝手に“ちくわに似ているもの”を想像してしまった。

 

早い話が、平天やごぼう天やちくわのような、練りものだと思ってしまったのだ。

 

でも、ヤツは違った。

 

練りものは練りものでも、まさか小麦粉を練ったものだなんて……

 

想像してほしい。

 

頭の中が竹輪をイメージしているときに

 

口の中に飛び込んできたのが小麦粉の塊だったとき

 

人がどうなるのか?

 

僕は一口齧ったちくわぶを、もう一度口の外に出すという、とても行儀の悪い行為をしてしまった。

 

そう

 

僕は軽いパニック状態に陥ったのだ。

 

僕は完全に動揺したのだ。


 

僕は

ずっと憧れていた

給料日のおでん屋デビュー戦で

最悪の出会いをしてしまった。

 

 

あの22歳の屋台デビューから30年経つけど、あれ以来、一度もちくわぶを口にしていない。

 

今でも、あの、口に入れた瞬間の驚きが忘れられないでいる。

 

あのイメージが消えない限りは、僕はちくわぶをおでんに入れることは無いだろう。

 

 

ちくわぶ好きの方

 

このかわいそうな体験をどうかご理解ください。

 

 

 

我が家のおでん鍋。

 

もう10年以上活躍してくれています。

 

 

 

 

 

では、また。