ども、自分の老後を案ずる岡田達也です。

 

 

 

 

 

我が家には母・秀子さんが大切にしていた庭がある。

 

小さな小さな庭だけど、彼女のこだわりで“日本庭園風”に仕上げてある庭。

 

現在、庭の水やりは父・隆夫さんの仕事だ。

 

「母が愛した庭の面倒を父が見る」

 

いい

 

とてもいい

 

それ自体は素晴らしいことだと思う。

 

本気でそう思っている。

 

だがーー

 

 

 *

 

 

毎日、夕方4時30分頃になると隆夫さんは言う。

 

「庭に水をやるけなぁ」

 

僕は感謝の言葉を口にする。

 

「ありがとね」

 

父は強調して言う。

 

「たっぷりやるけなぁ」

 

僕は言う。

 

「うん」

 

と、隆夫さんは必ず、必ず、必ず言う。

 

「でも、まだちょっと早いなぁ」

 

……庭の水やりに早い遅いがあるんだろうか?

 

 

 *

 

 

4時40分

 

「庭に水をやるけなぁ」

 

父、2度目の宣言。

 

「うん、ありがとね」

 

僕、2度目のお礼。

 

「たっぷりやるけなぁ」

 

父、2度目の強調。

 

「うん」

 

僕、2度目の相づち。

 

「でも、まだちょっと早いなぁ」

 

父、2度目の言い訳。


「……」

 

 

 *

 

 

4時50分

 

「庭に水をやるけなぁ」

 

父、3度目の宣言。

 

「うん、ありがとね」

 

僕、3度目のお礼は心なしか棒読みになっている。

 

「たっぷりやるけなぁ」

 

父、3度目の強調。

 

「うん」

 

僕、3度目の相づち。

 

「でも、まだちょっと早いなぁ」

 

父、3度目の言い訳。


「……」

 

 

 *

 

 

5時

 

「庭に水をやるけなぁ」

 

父、4度目の宣言。

 

「うん」

 

僕の4度目のお礼は「ありがとね」が無くなっている。

 

「でも、まだちょっと早いなぁ」

 

父、4度目の言い訳。


「……」

 

 

 *

 

 

5時10分

 

「庭に水をやるけなぁ」

 

「……」

 

「でも、まだちょっとーー」

 

 

もしもーし!!!

 

もしもーし!!!

 

それは、

何が、

何に対して、

ちょっと早いんでしょうか???

 

だいたいね!!!

 

いいんですよっ!!!

 

わざわざ水やりを宣言しなくても!!!

 

あげたくなったらあげてくださいよっ!!!

 

僕には

 

「これから庭に水をやるけなぁ」

 

「それは責任もってやるけなぁ」

 

「ていうか毎日やっとるしなぁ。それは自分の仕事だしなぁ」

 

「現に今も水をあげる気は満々だけどなぁ」

 

「水をあげたい、あげないけん、っていう気持ちで溢れとるけなぁ」

 

「でもなぁ」

 

「もう一つコンディションが整ってないっていうかーー」

 

「あ、心のコンディションのことね」

 

「それから肩が温まってないっていうかーー」

 

「気が向かないっていうかーー」

 

「あ、ぴったりな言葉があったわ」

 

「今はまだめんどくさい」

 

としか聞こえないんですけどっ!!!

 

草木は水を待ってらっしゃいますよっ!!!

 

いつだってゴクゴク飲みたいと思ってますよっ!!!

 

 

 *

 

 

……ウソのような話だが、我が家では、これを毎日繰り返している。

 

 

でもね

わかってますよ

 

やることがあるってことが大事なんですよね

 

終わらせてしまうと、やることが無くなるんですよね

 

 

何回てんどんしてもいいから、これからも水やりよろしくお願いします。

 

 

 *

 

 

僕にはーー

 

秀子さんが空の上でため息をついてるのがよく見える

 

 

 

 

 

では、また。