ども、間違えられた岡田達也です。

 

 

 

 

 

昨日のつづき。

 

 

 *

 

 

1999年の段階で

 

僕は『また逢おうと竜馬は言った』ではなく

 

『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』にエントリーされていた。

 

 

 *

 

 

これから書くことを、どうか誤解なきように読んでほしいのだけど……

 

 

当時の劇団というのは

今の世の中ほど平等でも自由でもなく

 

理不尽なことなどたくさんあって

とっても不自由で

とっても歪な形をしているのが普通だった。


上下関係も厳しいのが当たり前

(僕は今のご時世でもここは大切にした方が良いと思ってる派です)

 

自分より先輩の意見に対して「ノー」なんて答えが選択できるはずもなかった。

 

 

大事なことなのでもう一度書く。

 

若者の劇団員に「ノー」はなかった。

 

 

扉座の横内さんが

「当時の若い劇団員には人権など存在しなくて、奴隷と同等だった」

なんてよくブログに書いているけど

 

それはホントにそうであって

おそらく日本中のすべての劇団が似たような状況だったと思う。

(その不自由さも“芝居が面白くなるために絶対に必要な要素であった”と今でも信じてますが)

 

 

つまり

 

「あっちの作品に出たい」

「こっちが良いな」

など、役者に選ぶ自由などあるはずもなく

 

「これに出ろ」と言われたら

「はいっ」と答えるしかない。

 

“出演できる舞台がある”

 

それだけでありがたいと思うべき

 

それが、劇団という存在だ。

 

(プロデュース公演などはもちろん話が違いますよ)

 

 

 *

 

 

僕は『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』にキャスティングされていた。

 

当然「はいっ」しかない。

 

だから、来年はそれに出るんだ、と思っていた。

 

 

ところが……

 

『また逢おうと竜馬は言った』の竜馬役でオファーしていた役者さんから、キャラメルボックスに断りの連絡が入った。

その時期、すでに別の仕事が決まっているとのこと。

 

とても残念だけど、演劇界ではよくあることで

「今回はご縁が無かった」と諦めるしかない。

 

 

こうして、あらたな「竜馬」役を探さなければいけなくなった。

 

 

昨日も書いたけどーー

僕は、最初に候補に挙がっていた人は「絶対にハマる」と思っていたから

それに対抗できるような人がなかなか思いつかなくて

 

結局、誰の名前も浮かばないまま、次の会議の日がやってきた。

 

当日

成井さんから1枚のプリントが配られた。

 

そこには

『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』と

『また逢おうと竜馬は言った』の

新たなキャスティングが書かれていた。

 

竜馬役が空いてしまったので

その2作品の中でキャスティングを少しいじってみたとのことだった。

 

僕は目を通した。

 

……ん?

 

……あれ?

 

『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』から僕の名前が消えていた。

 

なんでだろう?

 

名前が消えてる

 

と、隣のページの『また逢おうと竜馬は言った』に目をやった。

 

 

「坂本竜馬 岡田達也」

 

 

ありゃりゃ

 

珍しいことがあるもんだ

 

成井さんが書き間違えてる……

 

 

 

 

 

つづく