ども、間違えられた岡田達也です。
昨日のつづき。
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1999年の段階で
僕は『また逢おうと竜馬は言った』ではなく
『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』にエントリーされていた。
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これから書くことを、どうか誤解なきように読んでほしいのだけど……
当時の劇団というのは
今の世の中ほど平等でも自由でもなく
理不尽なことなどたくさんあって
とっても不自由で
とっても歪な形をしているのが普通だった。
上下関係も厳しいのが当たり前
(僕は今のご時世でもここは大切にした方が良いと思ってる派です)
自分より先輩の意見に対して「ノー」なんて答えが選択できるはずもなかった。
大事なことなのでもう一度書く。
若者の劇団員に「ノー」はなかった。
扉座の横内さんが
「当時の若い劇団員には人権など存在しなくて、奴隷と同等だった」
なんてよくブログに書いているけど
それはホントにそうであって
おそらく日本中のすべての劇団が似たような状況だったと思う。
(その不自由さも“芝居が面白くなるために絶対に必要な要素であった”と今でも信じてますが)
つまり
「あっちの作品に出たい」
「こっちが良いな」
など、役者に選ぶ自由などあるはずもなく
「これに出ろ」と言われたら
「はいっ」と答えるしかない。
“出演できる舞台がある”
それだけでありがたいと思うべき
それが、劇団という存在だ。
(プロデュース公演などはもちろん話が違いますよ)
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僕は『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』にキャスティングされていた。
当然「はいっ」しかない。
だから、来年はそれに出るんだ、と思っていた。
ところが……
『また逢おうと竜馬は言った』の竜馬役でオファーしていた役者さんから、キャラメルボックスに断りの連絡が入った。
その時期、すでに別の仕事が決まっているとのこと。
とても残念だけど、演劇界ではよくあることで
「今回はご縁が無かった」と諦めるしかない。
こうして、あらたな「竜馬」役を探さなければいけなくなった。
昨日も書いたけどーー
僕は、最初に候補に挙がっていた人は「絶対にハマる」と思っていたから
それに対抗できるような人がなかなか思いつかなくて
結局、誰の名前も浮かばないまま、次の会議の日がやってきた。
当日
成井さんから1枚のプリントが配られた。
そこには
『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』と
『また逢おうと竜馬は言った』の
新たなキャスティングが書かれていた。
竜馬役が空いてしまったので
その2作品の中でキャスティングを少しいじってみたとのことだった。
僕は目を通した。
……ん?
……あれ?
『カレッジ・オブ・ザ・ウィンド』から僕の名前が消えていた。
なんでだろう?
名前が消えてる
と、隣のページの『また逢おうと竜馬は言った』に目をやった。
「坂本竜馬 岡田達也」
ありゃりゃ
珍しいことがあるもんだ
成井さんが書き間違えてる……
つづく