ども、画面越しでも顔が黒いと言われる岡田達也です。

 

 

 

 

 

昨日の夜

Zoomを使って打ち合わせしたり、無駄話した。

 

今さら言うことでもないけど、現代の通話はすごいなぁと感心する。

 

 

・相手の顔が見えている

映像を利用した通信はずいぶん前から行われているけど、僕はSkypeもラインのビデオ通話もほとんど利用していなかったし。

 

・手が空いている

受話器が要らないから当然。

 

・調べ物が自由にできる

僕は基本的にPCでZoomをやるので、しゃべりながらネット上の情報を拾いに行ける。

 

・移動できる

ネットさえ繋がれば、家の中のどこでだって話せる。

 

など、いくつも便利なことがある。

 

きっとこれがスタンダードになっていくんだろう。

(すでにそうなのかもしれない)

 

僕はZoomを使うたび

「世の中、便利になったもんだ」と、

実に“おじさんらしい感想”を抱いている。

 

 

 * *

 

 

中学生のとき

 

付き合ってる彼女がいた。

 

“若い二人にとって、一番大切なのは電話だった”。

 

若人たちよ

「……なんじゃそりゃ?」

などと、鼻で笑ったりしてはイケナイ。

 

昭和に青春時代を過ごした人は

上の一文を読んで、首がちぎれるほど頷いてるはずだから。

 

しかもここでいう電話は

 

スマホでもなければ

ガラケーでもなく

コードレスフォンでもなく

 

とても重たい本体を持ち

ハンズフリーになるためには受話器を肩と首で挟んでいないとダメな

電話線の長さによって移動範囲が制限される

 

そういう電話だった。

 

 

その電話を持って

親から可能な限りの距離を確保し

(と言ってもせいぜい2mだったが)

 

なるだけ会話を聞かれないように声を潜め

 

「いつまで電話してるの!」

という怒声に耐えながら

 

彼女と電話していた。

 

そもそも

相手の家にかけるだけでも一苦労だったし。

 

だって、最初に相手の親が出るから。

 

 

彼女との電話というのは

そういう

実に高いハードルの向こう側にあったのだ。

 

 

 *

 

 

さっきも書いたけど……

 

時代は変化するわけだから、これからの通信のスタンダードのスタイルも変わっていくんだろう。

 

おじさんはフト思う。

 

今の方が自由に話せるんだろうけど

あの

不自由な電話も

とても味があったんじゃないか?と。

 

声しか聞こえないのも悪くない

(想像力はいくらでも膨らむし)

 

受話器を肩と首に挟んでいるのも悪くない

(長時間になると首は疲れるけど)

 

 

ひょっとするとーー

 

あの当時

PCを使ってZoomで彼女とやり取りしていたら

ずいぶん違う感じになっていたんだろうと想像する。

 

どちらが良い悪いではないけど。

 

 

 *

 

 

近い将来

「え? 昔は顔を見ないで通話してたんですか?」

なんて言われる日が来るんだろうか?

 

 

 

 

 

では、また。