ども、常に腫れている岡田達也です。
昨日のつづき。
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小学生になってから今日までの病欠は
「中耳炎」と「インフルエンザ」の2度しかないーー
という、とても丈夫な男だが
小学校に上がるまでは、ホントに大変だった。
今思い出しても泣けてくる……。
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僕は生まれつきの「扁桃腺肥大」だった。
「ワッハハハハ! こりゃ、米粒も喉を通らないだろう?」
と、お医者さんに笑われた経験を持つ男で
(結局切除しなかったので今でもそうです)
とにかく高熱が出るのだ。
38度は当たり前
39度も何度経験したことか
そりゃ、もう、
信じられないほどのハイペースで扁桃腺を腫らしては高熱を出し
そのたびに
母親が勤めていた病院まで
母の背中に担がれて運ばれ
お尻に注射をブスブス打たれていた。
……余談だが
そのうちの1回は
注射を打たれた瞬間にオナラが出てしまい
(注射が嫌いすぎて、打たれる瞬間にお尻に力を入れすぎたのだ)
病室中が爆笑となり
僕は、熱のしんどさと、あまりの恥ずかしさに、ビービー泣いた。
おそらく
僕の自我の中に「羞恥心」という概念が芽生えたのは
あの瞬間だったと思う。
……話を戻そう
当時
訳あって両親は別居しており
(理由は書かないけど、もちろん100%父・隆夫さんに問題があったのです)
僕は母・秀子さんと二人暮らしだったため
熱を出すたび
僕を背中に背負って走ってくれる母に対して申し訳なくて、申し訳なくて
「あぁ、お母さん、ごめんなさい」
と、いつも思っていた。
まぁ、そんな母は現役の看護婦さんだったので
子供の扁桃腺炎などで、慌てることも、騒ぐことも、必要以上に心配することもなく
なんなら、僕に“笑いかけながら”背負って走ってくれていたのだけど。
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その当時
母と僕は、京都の太秦(うずまさ)というところに住んでおり
僕は『蜂ヶ岡保育園』というところに通っていたのだけど
その蜂ヶ岡保育園では
毎朝、「乾布摩擦」が行われていた……
つづく