ども、常に腫れている岡田達也です。

 

 

 

 

 

昨日のつづき。

 

 

 *

 

 

小学生になってから今日までの病欠は

「中耳炎」と「インフルエンザ」の2度しかないーー

 

という、とても丈夫な男だが

 

小学校に上がるまでは、ホントに大変だった。

 

 

今思い出しても泣けてくる……。

 

 

 *

 

 

僕は生まれつきの「扁桃腺肥大」だった。

 

「ワッハハハハ! こりゃ、米粒も喉を通らないだろう?」

と、お医者さんに笑われた経験を持つ男で

(結局切除しなかったので今でもそうです)

 

とにかく高熱が出るのだ。

 

38度は当たり前

39度も何度経験したことか

 

そりゃ、もう、

信じられないほどのハイペースで扁桃腺を腫らしては高熱を出し

 

そのたびに

母親が勤めていた病院まで

母の背中に担がれて運ばれ

お尻に注射をブスブス打たれていた。

 

 

……余談だが

 

そのうちの1回は

注射を打たれた瞬間にオナラが出てしまい

(注射が嫌いすぎて、打たれる瞬間にお尻に力を入れすぎたのだ)

 

病室中が爆笑となり

僕は、熱のしんどさと、あまりの恥ずかしさに、ビービー泣いた。

 

おそらく

僕の自我の中に「羞恥心」という概念が芽生えたのは

あの瞬間だったと思う。

 

……話を戻そう

 

 

当時

訳あって両親は別居しており

(理由は書かないけど、もちろん100%父・隆夫さんに問題があったのです)

 

僕は母・秀子さんと二人暮らしだったため

 

熱を出すたび

僕を背中に背負って走ってくれる母に対して申し訳なくて、申し訳なくて

 

「あぁ、お母さん、ごめんなさい」

と、いつも思っていた。

 

まぁ、そんな母は現役の看護婦さんだったので

子供の扁桃腺炎などで、慌てることも、騒ぐことも、必要以上に心配することもなく

 

なんなら、僕に“笑いかけながら”背負って走ってくれていたのだけど。

 

 

 *

 

 

その当時

 

母と僕は、京都の太秦(うずまさ)というところに住んでおり

 

僕は『蜂ヶ岡保育園』というところに通っていたのだけど

 

 

その蜂ヶ岡保育園では

毎朝、「乾布摩擦」が行われていた……

 

 

 

 

 

つづく