ども、赤から鍋が大好きな岡田達也です。
昨日のつづき。
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問題は“三密”だ。
「感染拡大を予防する新しい生活様式」のために必要なのは
「密閉、密集、密接」を避けることが一番だそうで
そのために生まれた言葉が「ソーシャルディスタンス」。
今、日本中のみんなが頑張って
コンビニでも、スーパーでも、街中でも、公園でも、
その距離を保とうとしているから
少しずつ結果が伴い始め
感染者の数も減ってきて
(発表されている数を聞く限りでは、ですけど)
実際に、鳥取を含む多くの都道府県の緊急事態宣言が解除された。
密にならないことの努力の結果が、キチンと出始めている。
それはとても素晴らしいことだし
本当に、本当に、一日も早く
このとんでもない事態は収束し
コロナは終息してくれることを心待ちにしてる。
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僕は、縁あって「小劇場演劇」と呼ばれる芝居と出会った。
22歳のときだった。
(それまでも演劇鑑賞会などは観たことあったけど)
その芝居は
劇場という「密閉」された空間で
多くのお客さんが「密集」し
舞台上の俳優さん同士の距離も
客席にいるお客さん同士の距離も
もっと言えば
舞台上と客席の関係性も「密接」なものでーー
それは、今までに経験したことのない世界だった。
*
もちろん
“面白い芝居の条件”というのは
脚本の良さだったり、
俳優の演技だったり、
舞台美術の美しさだったり、
というのが大事で
それだけでも十分楽しめるかもしれない
……とは思う。
なんだけど
僕が客席で経験したあの世界観や
そして
誤って足を突っ込んでしまった演劇の世界で
いつ頃からか板の上に立つようになり
そこで体験した
舞台上と客席を結ぶ空気感というのは
絶対に
絶対に
絶対に
「三密」なくしては生み出されなかったーー
と、今でも信じている。
(いやいや、三密を推奨してるわけではありませんからね)
* *
今、演劇界を救おうと尽力されている方がたくさんいる。
旗手になれない僕は
応援することしかできないので
賛同したり、拡散したり、を頑張ってやっている。
芝居がなくても生きていける
(実際今みんな生きてるし)
だけど
生活の中に芝居があってもいい。
ただ……
今の不安は
これから先
どれだけ頑張っても
僕が経験した、そして体験した、
あの、全身が震えるようなーー
いや、「ような」ではなく
“全身を震わせた瞬間”が
もう二度と味わうことができないのだろうか?
ということ。
もしも、これから先の演劇界が
舞台上も客席もソーシャルディスタンスを死守しなければ上演できない
あるいは
リモート演劇ならOK
とかいう状態になるのなら
“僕は何をチョイスするのだろう?”
ということを、ここのところずっと考えてる。
ずっとずっと。
ちっとっも答えは出ないけど。
そして
改めて感謝している。
あの世界に出会えたことに。
* *
らっきょう50個分の距離を取りながら今日も生きていこう。
みなさんのソーシャルディスタンスは
「何」が「何個分」ですか?
では、また。