ども、本日より場当たりの岡田達也です。

 

 

 

 

 

母・秀子さんへの温かいお言葉、本当にありがとうございます。

きっと喜んでくれていることと思います。

 

 *

 

信じてもらえないかもしれませんがーー

僕には反抗期がありませんでした。

(……だから、疑うんじゃないよ。本当ですって)

 

とんでもなく非常識な学生生活を送っていたのは確かですが、それは反抗からくるものではなく、ひたすら遊びたかっただけでして。

 

だから、生まれてから今に至るまで、親と口を聞かないというようなことは一度もありませんでした。

(父・隆夫さんの破天荒な行動に手を焼いて、閉口することは多々ありましたよ)

 

だからこそ、秀子さんが亡くなってから、泣かずにすんでるのかもしれません。

 

“親孝行が足りてない”のは間違いないのですが

“後悔するような発言や行動”をしてないのも確かなのです。

(あくまでもこちら目線の話です。秀子さんがどう思っていたのかはわかりませんよ)

 

今でも

会いたいし

話したいし

一緒に料理を作りたいと思うし

一緒に酒を飲みたいと思うし

 

でも

不思議と寂しくないのです。

 

子供の頃から「一番死んでほしくない人」と思っていたのは間違いなく秀子さんだったし

「母が亡くなったら自分はどうなっちゃうんだろう?」と心配していたのも本当だし

 

だけど

「私は父も母も亡くなったときに、一つも思い残すことはなかったよ。それだけのことをしたから」

という、生涯・看護婦だった彼女らしい、本当に献身的な看護ぶりをそばで見ていたから、

同じことはできないまでも“やれることはやろう”という気持ちでいられたのは確かで。

 

それが実践できたかどうかはわからないけど、

子供の頃に想像していた“強烈な寂しさ“に見舞われることなく過ごしています。

 

 

だから、まぁ、これからもちょいちょい書きます、秀子さんのこと。

 

最近は父・隆夫さんが幅を利かせているので、秀子さんの出番が少なめですが、この日記には隆夫さんに負けないくらい秀子さんファンもいるので。

 

 

昨日はちゃんと献杯しましたよ。

 

ところで……

これが、僕が日本で一番好きな酎ハイです。

新宿の飲み屋街にある“やや汚めのお店”のものですが。

写真でわかったあなたはよほどの呑助です。

ここの「きくらげと玉子炒め」が最高なのです。

 

僕の中華料理好きは、秀子さん譲りなのかもしれません。

 

 

 

 

 

では、また。