ども、助手を務める岡田達也です。

 

 

 

 

 

『世襲戦隊カゾクマンⅢ』

稽古が進んでいる。

 

 

昨日は殺陣付けの日だった。

 

パート1ではアクションシーンの監修を僕が担当させてもらったのだが

アルコールによって脳が溶け始めてる自分ではアイディアの限界があると感じ

パート2ではアクションクラブの武田浩二さんに

そして今回は佐藤雅樹さんにお願いした。

 

佐藤雅樹さん

キャラメルボックスの初代殺陣師である。

 

 *

 

佐藤先生との付き合いは

キャラメルボックスが初めて時代劇に挑戦したとき

(『俺たちは志士じゃない』1994年)

からなので、かれこれ25年になる。

 

 

25年前

僕たちは初めて刀を振った。

 

これが、まぁ、大変だった。

 

だって

時代劇なんて誰一人としてやったことがなかったから

 

そもそもの基本がわからない

 

構えも、振り方も、斬り方も、避け方も、足の運びも

何もわからない

 

オマケに

フューチャリング『惑星ピスタチオ』と銘打って

腹筋善之介、保村大和、佐々木蔵之介、平和堂ミラノ

の4人を迎えての公演だったので

いつも以上に勝手が違った。

彼らはパワーマイムの専門家ではあるが

やはり刀を振るのは初めてだった。

 

つまり、素人だらけだった。

 

 

思い出そうとしてもさっぱり思い出せないのだが

佐藤先生はどうやって手を付けたのだろう?

……と不思議でしょうがない。

 

1対1のシーンならともかく

一度に7人くらいが入り乱れるシーンもあったのに

 

それを、1人で、どうやったんだ???

 

アシスタントがいれば、スムースに事は運びやすい。

 

だって

AとBが戦ってて、その2人の動きを1人の人が伝えるとなると倍以上の手間がかかる。

だけど

もう1人”先生の意図が汲める人間”がいれば半分で済む。

 

 *

 

25年前、どうやって殺陣を付けたのかは思い出せないけど

先生にはひたすらご迷惑をかけたんだと思う。

それでも先生は

呆れることも、怒ることもなく

気長に耐えてあの作品を作ってくださった。

 

 

そのときの申し訳無さが

今の自分の原動力になってるのは間違いない。

 

あぁ、自分はこんなに動けないものなのか

アクロバティックなことはできなくてもいいから

せめて、せめて

舞台上で動ける(使える)身体を手に入れたい

 

 

やってて「楽しい」だけではなく

この「できない」ということの辛さ、苦しさが力になることもある。

 

 *

 

今、先生のアシスタントをやらせてもらっている。

 

これがせめてもの恩返しであり

 

と、同時に

 

僕にとっては

ここまで芝居を続けてきたご褒美なんじゃないかーー

 

と、勝手に思っている。

 

 

 

 

 

では、また。

 

 

 

追伸

 

昨日の日記の書き方がまずかったので誤解があるようですが

多鶴子さんの家にいるのを遠慮したわけではありません。

ずっと居ても良かったのです。

が、実は稽古場と劇場からちょっと遠いのです。

自分の体力的なことを考えて本番前はウィークリーマンションにしようという決断です。

みなさんの期待に応えられず申し訳ないですけど

たまには顔出したいと思っているので

多鶴子さんの登場を気長にお待ち下さい。