ども、筆無精な岡田達也です。

 

 

 

 

 

母・秀子さんの親友であるMさんが神戸から訪ねてきてくれた。

 

「秀子さんの葬儀に顔を出せなかったので、いつの日か必ず鳥取に行って手を合わせたい」

ずっとそう言ってくれていたのが、昨日、ようやく叶った。

 

 *

 

母とMさんは20代の前半

滋賀にある療養所で一緒に看護の仕事をしていたらしい。

その期間はわずか4年だという。

 

20代の前半に

たった4年

 

その後

秀子さんは岡山、京都、鳥取と移り変わり

Mさんは神戸に行った。

 

だけど2人は

ずっとずっとずっと繋がっていた。

母が78歳で亡くなるまで。

 

僕も物心ついたときからMさんにはお世話になっているし

役者になった後は母以上に新神戸オリエンタル劇場に観に来てくれた。

 

それに

秀子さんから「私の一番の友だち」と聞かされていたから

すべてではないけど、2人の繋がりの深さは理解しているつもりだ。

 

すごいなぁ、と思う。

 

昭和12年生まれと14年生まれ。

 

今の時代じゃない。

 

もちろんスマホなど持ってない2人

電話よりも“頻繁な手紙のやり取り”でお互いの近況を知らせあっていた。

 

筆まめではない僕には絶対に真似できないことだ。

 

2人を見ていると

親友というのは数ではないのだなぁ

といつも思わされた。

 

 

今は簡単に繋がれる。

 

それはとても便利でありがたいことだけど

気をつけなければ

人との繋がりが適当になったり

ともすると煩雑になってしまう危険性も含んでる

……ように思う。

 

 *

 

「あなたのお母様と知り合えたことが、私の人生の宝なんです」

そんなふうに言ってもらえるなんて、母上は幸せな人だ。

 

左が秀子さん

右がMさん

 

 

僕にだって生涯付き合いたいと思う人がいる。

そういう人がいるってことが大切なんですな。

 

 

 

 

 

では、また。