ども、救いの手を差し伸べてもらった岡田達也です。
昨日のつづき
*
僕は後ろにいるはずの今井義博くん(劇団OB)を振り返った。
「今井くん、テープがーー」
彼は体育座りしたまま居眠りしていた。
……あぁ、そうだった
彼はいつだって眠い人じゃないか
今も気持ちよさそうに船を漕いでいるし
見なかったことにしよう……
僕は、自分の退路が絶たれたことを確信し
オープンリールデッキの前に立ち
恐る恐る左側のリールからテープの先を引っ張り出した。
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「テープを通すだけでしょ?」
と思われるかもしれない。
いやいや
そんなに簡単なものじゃない。
とにかく「取扱い注意」な代物なのだ。
テープが裸になっているということは
テープ自身に触れるということで
つまり、ちょっと力を入れると千切れてしまう可能性もあるということだ。
それに。
千切れなくても、テープが伸びることがよくあると聞いた。
もしも僕がテープを通そうとして
正解の順路がわからず
ちょっと力任せに引っ張ってテープが伸びたとしよう。
と。
通常で再生しても“まるでスロー再生しているよう”になってしまう。
想像してほしい
オープニングのダンス曲を再生したら妙に遅いーー
そんなことになったら僕はきっと殺される……
*
「達也、何やってんの! まだ?」
音響オペレーターの早川さんのイライラした声が聞こえてくる。
「は~い! 今、やってまーす! 少々お待ちくださ~い!」
僕は震える指でテープを扱いながら
声だけは震えないように平常を装い返事した。
もちろん
「すみません! テープが巻き戻ってしまいました! 通し方を知らないので再生できません! 教えていただけますか?」
と正直に言うのが一番良いのもわかる。
だけど
時代が違う
誤解を恐れずに言えば
この場合
テープを全部巻き戻してしまったことも僕の責任だし
テープの再生の仕方を知らないことも僕の責任だったりする
「聞いてません」
「教わってません」
が通用する現代とは、まったく違う。
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僕は、半泣きになっていた。
もうダメだ
もうおしまいだ
このままそっと神戸を後にして、鳥取に帰るしかない
今井くん、後のことはよろしく……
そのときーー
「岡田さん、お手伝いしましょうか?」
今井くんが居眠りしているのとは反対側の背後から声が聞こえた。
振り返ると、新神戸オリエンタル劇場の音響担当のSさんだった。
(劇場に常駐しているスタッフさんです。「劇場さん」とか「小屋付きさん」と呼びます)
劇場さんは、僕たちが劇場をお借りしているときは、基本的にスタッフルームにいるので姿を見ることは少ない。
だが、このときは、たまたま何かの用事があったらしく、そのタイミングで通りかかったのだ。
ああああっっっっ
ああああっっっっ
あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す・う・う・う・ぅ・ぅ・ぅ・ぅ
今、ちょうど
鳥取に帰ろうと決心したところでした
Sさんはニッコリ笑ってオープンリールデッキの前に立ち、テープを手にして操作を始めた。
元々男前な顔だったが、その笑顔は男前度をさらに増して見えた。
*
「達也、ま~だ~?????」
早川さんの声のトーンが限界に近付いている。
Sさんは作業しながら僕にそっと片手を開いて見せた。
その意図がわかった僕は大きな声で返事した。
「あと5秒でいけま~す!」
「早くしてくれよ~! 時間ないんだから~!」
「了解しました~!」
そしてセットを終えたSさんが笑顔で
「岡田さん、いけます」
と声をかけてくれた。
僕は何事もなかったかのように再生ボタンを押した。
ダンス曲が、通常スピードで、流れ始めた。
*
51年生きていて「後光がさしている人」を見かけたことが数回あるが
その数少ない経験の一度がこのときだった。
* *
残念ながらSさんは、14年前、福知山線の脱線事故でお亡くなりになった。
親友でもないし、家族ぐるみの付き合いでもない。
一緒に食事したのは2回ほど。
そんな程度の付き合いの僕だけど
4月25日が来るとSさんのことを思い出すし、ついつい語りたいと思う。
Sさん
あのときはありがとうございました
おかげさまで鳥取に帰らなくてすみました
また僕がピンチのときは助けてくださいね
では、また。